2024.09.26
クリニック奮闘記
Vol.749 勤務医師の経営感覚を磨く
院長先生はクリニックの経営者として、否が応でもマネジメントをしなければならないのですが、現場で働くスタッフが、同じモチベーションであるとは限りません。むしろ経営者的な視点を求める方が酷であるともいえます。しかしながら地域に受け入れられるクリニックであるためには、院長だけでなく、スタッフにも、ある程度の"経営者マインド"が備わっているに越したことはありません。今回のシリーズは、医師をはじめ、各職種のスタッフに如何にして経営者マインドを醸成させるかを考えていく切掛けにしたいと思っています。
若手医師の山田翔太は、医療現場での経験を積むことに日々全力を注いでいた。彼の熱意は常に患者の治療に向けられており、医療技術の向上に対する情熱は並々ならぬものだった。患者に対して、最良の治療を提供することこそが医師としての使命だと信じており、その考えに疑いはなかった。しかし、彼にとって「経営」という言葉は、医療の現場からは遠い世界のものに感じられていた。実際、彼のような医師にとって、経営的な視点や数値目標は、治療という行為そのものとはかけ離れたものだと感じられることが多い。
山田が勤務しているクリニックは、地域に根ざした医療機関で、患者数も多く安定した経営が続いていたが、時折、院長の口からは「経営の改善」という言葉が飛び出していた。特に、患者数の増加や再来院率を上げることが経営全体にどれだけ大きな影響を及ぼすか、院長はしばしば医師たちに話していた。しかし、山田にとっては、数字の世界はあまりにも冷たく感じられ、患者一人ひとりに向き合うことこそが医師の本分だと思っていた。
ある日、院長の定例ミーティングで、クリニック全体の経営方針について話し合う場が設けられた。院長は熱心に「患者数の増加や再来院率を上げることがクリニックの利益に直接繋がる」と説明した。彼の言葉は正論で、経営的な視点から見ればもっともな話だが、山田にはピンとこなかった。彼は「経営のために患者を増やす」という考え方に違和感を抱いていた。「患者を単なる数字として見るのではなく、その人その人に最良の治療を施すことが医師の役割ではないか?」という疑問が頭から離れなかった。
そんな彼に、院長が次に放った言葉が転機となる。「患者満足度の向上が、君自身の評価やキャリアに直結するんだ」と、院長は柔らかい口調で語りかけた。これは山田にとって、新たな視点を与える言葉だった。自分がどれだけ医療技術に専念しても、それが患者の満足に繋がらなければ、医師としての評価は十分に得られないのではないかと感じ始めた。そして、患者満足度が高まれば、再来院率も自然と上がり、経営的な観点からも良い結果が生まれるということに気付き始めた。
院長は続けて、具体的な数値目標を提示した。それは「治療の質」や「再来院率」、さらには「患者の満足度」という、医師としても意識しやすい臨床的な指標に基づいていた。これらの目標が、ただクリニックの利益を上げるためのものではなく、医師としてのキャリアパスや人事評価にも直結する仕組みが整備されつつあることが説明された。これにより、山田は次第に経営的な視点と医師としての使命感を結びつけることができるようになっていった。
最初は半信半疑だった山田も、目標管理の具体的な数値を目にすると、自分の努力がどのように評価され、どのようにキャリアに影響を与えるのかを理解するようになっていった。再来院率を高めるために、患者との関係を強化し、コミュニケーションを深めることが必要だと感じた。また、患者満足度が高ければ、自然と治療の質も向上し、結果としてクリニック全体の評価も上がるということに気づいた。
しかし、山田には一つ大きな壁があった。それは、日々の忙しさに追われ、これらの数値目標を追いかける余裕がなかったことだ。山田だけでなく、多くの医師が同じ問題を抱えていた。クリニックの現場では、診療が優先されるため、経営的な視点や目標管理に時間を割くことが難しいのが現実だった。目の前の患者に最善の治療を提供するために時間とエネルギーを注ぐ中で、どうすれば経営的な目標にも向き合うことができるのか、山田は頭を悩ませていた。
そこで院長は、医師たちの負担を軽減するための取り組みを始めた。データ管理や目標達成状況のモニタリングをサポートする専用のシステムが導入され、山田たち医師は治療に専念しつつも、経営的な目標に対してフォローアップを受けることができるようになった。また、定期的にフィードバックを受ける機会が設けられ、目標に向かって進捗を確認し、改善点を洗い出すプロセスも導入された。
山田は、こうしたサポートを受けることで、徐々に経営目標と医療の現場を両立させる方法を見つけ始めた。彼は診療の質を維持しつつも、患者とのコミュニケーションをさらに重視するようになった。特に、患者一人ひとりの悩みに対して丁寧に耳を傾ける姿勢を強化し、適切なフォローアップを行うことで、患者の信頼を深めることに成功した。結果として、再来院率が上がり、患者からの信頼も厚くなっていった。
しかし、その一方で、キャリアパスと人事評価が数値目標に連動していることに対して、一部の医師たちからは不安の声が上がり始めた。「経営のために医療が犠牲になっているのではないか」という懸念が広がり、山田自身もその葛藤に悩まされた。数値に追われる日々が続く中で、医師としての本質的な価値を見失ってしまうのではないかという恐れが頭をもたげることもあった。
ある日、山田は院長にその不安を打ち明けた。院長は山田の悩みを真摯に受け止め、次のように答えた。「目標管理は、経営のためだけの手段ではない。むしろ、医療の質を高めるためのツールなんだ。」その言葉に、山田はハッとさせられた。数値目標は単なる数字の羅列ではなく、患者により良い医療を提供するための指標であり、その結果が経営に反映されるというサイクルが存在することに気付かされたのだ。
また、院長は目標達成を評価するための仕組みとして、数値だけでなく、質的なフィードバックや自己評価の機会も設けるように改善を進めた。これにより、医師たちは単に数値に追われるのではなく、自分自身の成長を振り返り、次のステップに進むための指針を得ることができるようになった。山田は次第に、自分の医療が患者とクリニックの未来に貢献していることを実感し、数値目標と医師としての使命感が一致するようになっていった。
山田は、経営と医療のバランスを理解する中で、他の医師たちに対してもリーダーシップを発揮するようになった。彼は、自身の成功体験を同僚たちと共有し、目標管理が医師としての成長を支えるツールであることを説明した。このプロセスを通じて、他の医師たちも目標に向かって積極的に取り組むようになり、クリニック全体の連携が強化されていった。
院長はこの状況を見て、山田にさらなるリーダーシップの役割を任せることを決断した。山田は、医師たちの人事評価に関わるプロジェクトに参加し、キャリアパスと目標管理をより密接に結びつける新たな制度を構築することに尽力した。このプロジェクトでは、単に数値目標を達成するだけではなく、質的な成長や患者満足度、チームワークを重視する評価基準が取り入れられた。
一方で、現場では依然として目標達成に苦しむ医師もいた。忙しい診療の合間に目標を意識することが難しい医師たちは、数値に対してプレッシャーを感じていた。そんな医師たちに対し、山田は「目標は必ずしも一度で達成できるものではなく、失敗を次の成長のステップに変えることが大切だ」と伝え、定期的にフォローアップやフィードバックを行った。これにより、医師たちは自分の進歩を実感しやすくなり、目標管理に対する抵抗感が薄れていった。
山田のリーダーシップのもと、クリニックの全体的な医療水準は着実に向上していった。患者からの信頼も厚くなり、経営的にも安定した成長を遂げたクリニックは、地域での評判を高め、さらに多くの患者が訪れるようになった。山田自身も、医療と経営の両立を実現した一人のリーダーとして成長し、新たなキャリアのステージへと歩みを進める準備が整っていた。