2026.03.23
クリニック奮闘記
Vol.1121 なぜクリニックは採用に苦戦するのか ―給与水準だけでは人が集まらない時代の構造―
近年、クリニックにおける人材採用は、従来と比較して明らかに難易度が高まっている。特に看護師や医療事務といった職種においては、求人を出しても応募が集まらない、あるいは採用しても短期間で離職してしまうといった状況が多くの医療機関で見られる。この背景には、単なる人手不足だけではなく、求職者の価値観の変化が存在している。本稿では、実際の医療機関の事例をもとに、採用が難しくなっている構造的要因について考察する。
従来、クリニックの採用においては、給与水準が重要な要素とされてきた。一定水準以上の給与を提示することで、応募者を確保することが可能であった時期も存在する。しかし現在では、給与条件を引き上げても必ずしも応募数が増えるとは限らない。むしろ、給与以外の要素が応募の意思決定に大きな影響を与えていると考えられる。
ある都市部の内科クリニックでは、医療事務の採用に苦戦していた。院長は周辺地域の相場よりも高い給与を提示していたが、応募数は限られており、採用後も定着しない状況が続いていた。面接時には特に問題は見られなかったが、入職後数か月で退職するケースが複数発生していた。
その理由を退職者へのヒアリングを通じて確認すると、共通して挙げられたのは「職場の雰囲気が事前のイメージと異なっていた」という点であった。このクリニックでは、求人票において業務内容や給与条件は詳細に記載されていたが、職場の雰囲気や診療方針については十分に伝えられていなかった。その結果、求職者は入職前に職場の実態をイメージすることができず、入職後にギャップを感じることになっていたのである。
整形外科クリニックでも、同様の問題が見られた。ある整形外科では、リハビリスタッフの採用を強化するために給与水準を引き上げたが、応募者の質が必ずしも向上したわけではなかった。むしろ、短期間で転職を繰り返している応募者が増える傾向が見られた。
このクリニックでは、面接の過程で応募者に対して業務内容の説明は行っていたが、クリニックとしての診療方針や患者への向き合い方については十分に共有されていなかった。その結果、採用後に「自分の考えていた働き方と異なる」と感じるスタッフが一定数存在し、離職につながっていた。
訪問診療クリニックでは、さらに特徴的な傾向が見られる。ある訪問診療クリニックでは、看護師の採用において、給与条件だけでなく、働き方そのものに対する価値観が重要な要素となっていた。このクリニックでは、在宅医療に対する理解や関心がある人材を求めていたが、求人票ではその点が十分に伝えられていなかった。
結果として、訪問診療の業務内容に十分な理解を持たないまま入職するケースが見られ、実際の業務とのギャップが離職の原因となっていた。訪問診療は外来診療とは異なり、患者の生活環境に深く関わる医療であるため、求められる適性も異なる。その点が事前に共有されていない場合、採用後のミスマッチが生じやすくなる。
これらの事例から明らかなように、現代の採用においては給与水準だけでなく、職場の価値観や働き方に対する情報が重要な役割を果たしている。求職者は単に条件の良い職場を探しているのではなく、自分の価値観や働き方に合致する職場を選択しようとしているのである。
また、情報の非対称性も採用の難しさに影響している。求人票に記載される情報は限られており、実際の職場環境を完全に伝えることは難しい。そのため、求職者は限られた情報をもとに意思決定を行うことになる。このとき、職場の雰囲気や診療方針といった要素が不明確である場合、入職後のギャップが生じやすくなる。
重要なのは、採用活動を単なる人員補充の手段として捉えるのではなく、組織の価値観を共有する機会として位置付けることである。給与条件や業務内容だけでなく、どのような医療を提供しているのか、どのような職場環境を目指しているのかを明確に伝えることが、ミスマッチを防ぐうえで重要となる。
クリニックにおける採用の難しさは、単なる人手不足の問題ではなく、求職者の価値観の変化と情報伝達の課題が重なり合った結果である。この構造を理解したうえで採用活動を見直すことが、安定した人材確保につながる第一歩となる。
