2026.03.10
クリニック奮闘記
Vol.1114 スタッフが定着するクリニックの組織づくり ―安定した職場環境を支える運営の仕組み―
これまでの連載では、スタッフの離職が続くクリニックに見られる共通の問題として、業務分担の不明確さや情報共有の不足、さらには院長のマネジメントが職場環境に与える影響について検討してきた。しかし医療機関の現場を観察すると、同じような診療科や立地条件であっても、スタッフの定着率が高く安定した職場環境を維持しているクリニックが存在することも事実である。本稿では、そのような医療機関に共通する特徴を、具体的な事例を通して考察する。
まず注目すべき点は、スタッフが長く勤務しているクリニックでは、業務の進め方が比較的明確に整理されていることである。クリニックは小規模な組織であるため、業務が個人の経験や暗黙の了解に依存していることが少なくない。しかし、業務の手順が特定の個人の経験に依存している場合、新しいスタッフが職場に適応するまでに長い時間を要することになる。結果として、業務に対する不安が離職の要因となることもある。
ある住宅地に立地する内科クリニックでは、医療事務の定着率が高く、十年以上勤務しているスタッフが複数存在している。このクリニックでは、受付業務や会計処理、レセプト業務などの基本的な作業について、院内で簡単な手順書が作成されていた。特別に高度なマニュアルというわけではなく、日常業務の流れを整理したものであるが、新しく入職したスタッフにとっては業務の全体像を理解するうえで重要な役割を果たしていた。
このクリニックの院長は、「診療は忙しいが、業務の進め方が分からないという状況を作らないことが重要だ」と語っている。実際、新しく入職したスタッフも、最初の数週間で業務の基本的な流れを理解することができるため、心理的な負担が比較的少ないという。こうした環境では、スタッフ同士が自然に協力する関係が生まれやすく、結果として職場全体の安定につながっている。
整形外科クリニックでも、組織運営の工夫によって職場環境が安定している例が見られる。ある整形外科では、リハビリスタッフが十数名勤務しているが、離職率は比較的低い。このクリニックでは、リハビリ部門の業務管理を理学療法士の主任が担当しており、日常業務の調整が院長ではなく現場のスタッフによって行われている。
院長は診療の責任者として治療方針を決定する立場にあるが、リハビリ業務の細かな調整には直接関与しない。その代わり、月に一度のミーティングでリハビリ部門の状況を共有し、必要に応じて方針を確認するという方法が取られていた。このような体制により、現場のスタッフは業務の進め方について自律的に判断することができる。実際にこのクリニックでは、スタッフの意見が業務改善に反映されることが多く、それが職場への帰属意識を高める要因になっていると考えられる。
訪問診療クリニックにおいても、組織運営の仕組みが職場環境に大きな影響を与える。ある訪問診療クリニックでは、訪問件数が多いにもかかわらず、看護師や事務スタッフの定着率が高い。院長によれば、訪問診療は外来診療とは異なり、チームとして業務を進める必要があるため、情報共有の方法を意識的に整備してきたという。
このクリニックでは、訪問先の患者情報を共有するための定期的なカンファレンスが行われている。医師、看護師、事務スタッフが参加し、患者の状態や家族の要望、今後の訪問計画などを確認する。この場では、看護師や事務スタッフからの意見も積極的に取り上げられ、診療の進め方に反映されることがある。ある看護師は、「訪問の現場で感じたことを共有できる場があることで、チームの一員として仕事をしている実感がある」と語っている。
これらの事例に共通しているのは、組織としての基本的な仕組みが整えられていることである。特定の個人の能力や努力に依存するのではなく、業務の流れや情報共有の方法が一定程度制度化されている。その結果、新しいスタッフが職場に適応しやすくなり、長期的な勤務につながる環境が形成されている。
また、スタッフの定着率が高いクリニックでは、院長が職場の雰囲気に一定の配慮をしていることも特徴の一つである。これは特別な人事制度を導入するという意味ではない。日常の診療の中でスタッフの意見を聞く姿勢を持ち、必要に応じて業務の進め方を調整するという、比較的基本的な行動である。しかし、小規模組織ではこうした行動が職場環境に大きな影響を与えることになる。
クリニックの組織運営は、必ずしも大規模な制度や管理手法を必要とするものではない。むしろ、業務の基本的な枠組みを整え、スタッフが安心して働くことのできる環境を作ることが重要である。そのような環境では、スタッフ同士の協力関係が自然に生まれ、結果として離職の少ない職場が形成される。
次回の最終回では、これまでの議論を踏まえ、院長が実際の診療現場でどのような取り組みを行えば、スタッフが辞めにくい職場を作ることができるのかについて考察する。現実の医療機関の経験をもとに、無理のない形で実践可能な組織運営の考え方を整理したい。
