2026.03.20
クリニック奮闘記
Vol.1116 なぜ開業から10年でクリニック経営は転機を迎えるのか ―「安定期」から「再構築期」への移行―
クリニック経営において、「開業から10年前後で経営が苦しくなる」という現象は、決して例外的なものではない。むしろ、多くの医療機関に共通して観察される一つの転機である。この時期に経営が不安定化する背景には、外部環境の変化のみならず、開業初期には顕在化しなかった内部構造の問題が表面化するという特徴がある。本稿では、この「10年の壁」とも呼ばれる現象について、具体的な事例を通して考察する。
開業直後のクリニックは、一般的に成長過程にある。新規患者の増加、地域での認知度の向上、スタッフ体制の整備などが進み、数年のうちに一定の診療基盤が形成される。特に内科や整形外科など地域密着型の診療科では、患者数が徐々に積み上がることで経営が安定する傾向にある。この段階では、多少の業務の非効率や組織運営上の課題があったとしても、患者数の増加によって吸収されることが多い。
しかし、開業から数年が経過し、患者数の増加が鈍化すると、これまで見過ごされてきた問題が徐々に顕在化する。ある郊外の内科クリニックの事例では、開業から5年ほどで患者数が安定し、その後は大きな増減が見られなくなった。当初は順調な経営が続いていたが、8年目を過ぎた頃から、収益の伸びが止まり、経営に余裕が感じられなくなっていったという。
院長は当初、周辺地域に新たな医療機関が開業したことを主な原因と考えていた。しかし、詳細に状況を分析すると、患者数そのものは大きく減少しているわけではなく、むしろ緩やかな増加を維持していた。それにもかかわらず経営が苦しく感じられる背景には、別の要因が存在していたのである。
整形外科クリニックでも同様の傾向が見られる。ある都市部の整形外科では、開業当初からリハビリテーションを中心とした診療体制を構築し、多くの患者を集めていた。開業から7年ほどで地域における一定の地位を確立し、患者数も安定していた。しかし10年目を迎える頃になると、院長は「以前ほど余裕がなくなってきた」と感じるようになったという。
このクリニックでも、患者数の大幅な減少は見られなかった。むしろリハビリ患者は一定数を維持しており、外来患者数も安定していた。それにもかかわらず経営に圧迫感が生じていた背景には、組織の内部に蓄積された問題が関係していた。
訪問診療クリニックでは、やや異なる形で「10年の壁」が現れることがある。ある訪問診療クリニックでは、開業当初は少人数の体制でスタートし、徐々に訪問件数を増やしていった。数年で患者数が拡大し、スタッフも増員され、組織としての規模が大きくなっていった。しかし10年目を迎える頃には、組織の運営が複雑化し、院長が全体を把握しきれない状況が生じていた。
このクリニックでは、訪問件数の増加に対応するためにスタッフを増員してきたが、その過程で業務の進め方が統一されておらず、部門ごとに異なる運用が行われるようになっていた。その結果、業務の効率が低下し、スタッフ間の連携にも支障が生じるようになっていたのである。
これらの事例に共通しているのは、「患者数の問題」ではなく、「組織の成熟」に伴う変化が経営に影響を与えている点である。開業初期には、院長がすべての業務を把握し、迅速に意思決定を行うことができる。しかし、組織の規模が拡大し、業務が複雑化すると、従来の運営方法では対応しきれなくなる。
また、開業から10年程度が経過すると、スタッフ構成にも変化が生じる。長年勤務しているスタッフが増える一方で、新たに入職するスタッフとの間で業務に対する認識の差が生まれることがある。このような状況では、職場の統一感が失われやすくなり、組織としての一体感が弱まることになる。
さらに、患者層の変化も無視できない要素である。開業当初に来院していた患者が高齢化し、診療内容が変化することや、新規患者の流入が減少することなどが、診療の構造に影響を与える場合がある。特に地域医療においては、人口構成の変化が直接的に患者数や診療内容に影響するため、長期的な視点での対応が求められる。
このように、「開業10年で経営が苦しくなる」という現象は、単一の原因によって説明できるものではない。組織の成長、スタッフ構成の変化、患者層の変化など、複数の要因が重なり合うことで、経営に影響を及ぼすのである。
重要なのは、この時期を単なる「経営の停滞」として捉えるのではなく、「再構築の必要性が生じる時期」として理解することである。開業初期に有効であった運営方法が、そのまま将来にわたって通用するとは限らない。むしろ、組織の成熟に応じて運営の方法を見直すことが求められる。
