2026.05.12
クリニック奮闘記
Vol.1156 「給与を上げても応募が来ない」時代に必要な"給与以外の魅力"とは
2026年現在、多くのクリニック経営者が共通して抱えている悩みのひとつが、「求人を出しても応募が来ない」という問題である。特に内科、皮フ科、整形外科、耳鼻咽喉科、在宅医療を中心とした外来・地域医療型クリニックでは、慢性的な人材不足が深刻化している。
かつては、求人媒体に広告を掲載し、地域相場よりやや高い給与を提示すれば、一定数の応募が集まった。しかし現在は、単純な給与競争では人材確保が難しくなっている。最低賃金の上昇、人件費高騰、医療スタッフ不足などの外部環境変化により、給与を上げ続けることには限界がある。
一方で、同じ地域、同じ診療科であっても、「応募が集まるクリニック」と「全く応募が来ないクリニック」が存在している。そこには、単なる賃金差だけでは説明できない要因が存在する。
現在の求職者は、給与水準だけでなく、「その職場で安心して働き続けられるか」という視点を重視している。特に20代から40代の医療スタッフは、職場選択において、院内の人間関係、教育体制、院長の人柄、休暇の取りやすさ、残業状況、スタッフ同士の雰囲気などを慎重に観察している。
つまり、採用市場は「条件競争」から「職場環境競争」へと変化しているのである。
大阪府内で開業しているある皮フ科クリニックでは、数年前まで慢性的な採用難に悩んでいた。特に医療事務スタッフの定着率が低く、採用しても半年以内に退職する状況が続いていた。
院長は当初、「給与が低いことが原因ではないか」と考え、時給を引き上げた。しかし状況は改善しなかった。そこで院長は、第三者を交えてスタッフ面談を行い、退職理由を分析した。
すると、退職理由として最も多かったのは給与ではなく、「誰に質問していいかわからない」「新人教育が属人的」「忙しい時に院長がピリピリしている」といった組織面の問題であった。
その後、このクリニックでは教育担当者を明確化し、マニュアル整備を進めた。また、朝礼で院長がスタッフへ感謝を伝える機会を設けたところ、院内の雰囲気が徐々に変化していった。
すると不思議なことに、求人応募数も改善し始めたのである。
求職者は面接時、驚くほど細かく院内を観察している。受付スタッフの表情、スタッフ同士の会話、電話対応、診療後の空気感などから、「ここで働き続けられるか」を判断している。
つまり、採用力とは広告力ではなく、"組織力"になりつつある。
また近年は、SNSやGoogle口コミの影響も無視できない。患者向け口コミだけでなく、求職者同士が匿名掲示板やSNSで情報交換を行う時代になっている。そのため、一度「人が辞めるクリニック」というイメージが定着すると、採用活動はさらに難しくなる。
一方で、必ずしも高給与ではなくても、応募が絶えないクリニックも存在する。
兵庫県内のある耳鼻咽喉科クリニックでは、特別高い給与体系ではないものの、数年間ほとんど離職が起きていない。このクリニックでは、院長がスタッフの誕生日に必ず手書きメッセージを渡している。また、有給取得を積極的に推奨し、子育て中スタッフへの配慮も徹底している。
結果として、「働きやすいクリニック」という評判が地域内で広がり、求人広告費を大きくかけなくても紹介応募が発生するようになった。
現在の採用市場では、"条件"より"安心感"が重視される傾向が強まっている。
特に医療現場では、精神的負担が大きい。患者対応、クレーム、感染対策、レセプト業務、電話応対など、日々多くのストレスにさらされている。そのため求職者は、「この職場で長く働けるか」という視点を極めて重視する。
ここで重要なのは、院長自身が「採用」を単独の問題として捉えないことである。
採用難の背景には、組織文化、コミュニケーション、教育体制、業務設計、評価制度など、経営全体の問題が複雑に絡み合っている。
つまり、求人が来ないという現象は、"組織課題の結果"とも言える。
特に近年の若い世代は、「怒られない職場」よりも、「相談できる職場」を求めている傾向がある。完全な優しさだけではなく、「困った時に支えてもらえる環境」が重視されているのである。
また、クリニック経営者の中には、「昔はもっと厳しかった」「見て覚えるべき」という価値観を持つ院長も少なくない。しかし現在の採用市場では、その考え方だけでは組織維持が難しくなっている。
もちろん、単純にスタッフへ迎合すればよいわけではない。
重要なのは、「働きやすさ」と「規律」のバランスを整えることである。
スタッフが安心して働ける一方で、患者対応品質や医療安全を守る組織づくりが必要となる。
今後、人口減少と医療人材不足はさらに進行すると考えられている。特に地方都市では、採用競争はますます激しくなるだろう。
そのような時代において必要なのは、「給与を上げ続ける経営」ではなく、「ここで働きたいと思われる組織作り」である。
採用とは、単なる人集めではない。
組織の魅力が問われる時代に、院長自身の価値観やマネジメント姿勢が、これまで以上に重要になっていくのである。
