2025.09.17
クリニック奮闘記
Vol.989 在宅医療は持続可能な経営モデルとなり得るのか ~公共性と収益性のはざまで考える~
はじめに
日本は世界でも類を見ない速さで高齢化が進んでいます。その中で「住み慣れた自宅で療養したい」という患者や家族の思いを支える仕組みとして、在宅医療の役割はますます重要性を増しています。厚生労働省も地域包括ケアシステムの中核として在宅医療を位置付け、政策的な後押しをしています。
一方で、在宅医療を担うクリニックの院長からは「時間や労力の割に経営的な安定が得にくい」「外来診療と比べて効率が悪い」といった声も少なくありません。ここには、医療が社会的に不可欠な公共財であると同時に、事業として持続可能でなければならないという二重の要請があります。
本稿では、在宅医療の経営における課題を整理しつつ、公共性と持続可能性を両立させるためにどのような視点が必要なのかを考えます。
在宅医療の収益構造と限界
在宅医療の診療報酬は、「在宅患者訪問診療料」「在宅時医学総合管理料」や各種加算で成り立っています。外来診療に比べて患者一人あたりの単価は高い場合もありますが、同時に次のような制約があります。
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訪問件数の限界
移動時間が必ず発生するため、外来のように短時間で多数の患者を診ることはできません。患者宅が密集する都市部では効率的に回れる一方、郊外や地方では移動時間が長く、1日あたりの診療件数が限られます。 -
24時間対応の要請
在宅療養支援診療所の届出を行うと加算が得られますが、同時に24時間体制を整える必要があります。夜間や休日のオンコール対応は医師やスタッフの大きな負担となり、経営的な採算だけでは測れない難しさがあります。 -
加算要件の複雑さ
在宅医療では多くの加算が用意されていますが、算定要件は細かく複雑です。要件を満たしていなければ請求できず、算定漏れや請求ミスが収益の不安定さにつながります。
コスト面の特徴
在宅医療を展開する際には、外来診療とは異なるコストがかかります。
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人件費:訪問看護師やドライバー、事務スタッフなど、外来診療以上に人員が必要となる場合が多い。
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設備投資:訪問用車両、ポータブル機器(心電計、エコーなど)、緊急対応用資材の購入が必要。
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ITシステム:訪問スケジュールや情報共有を効率化するためのシステム導入も進みつつあり、固定費の増加要因となる。
これらの要素はすべて患者サービスの質を維持するために不可欠ですが、その一方で経営的には「収益が増えにくく、コストは増えやすい」という構造を生み出しています。
レセプト業務の複雑さ
在宅医療を経営するうえで特に院長が頭を悩ませやすいのが、レセプト請求業務の難しさです。
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同一建物居住者に対する減算規定
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在宅時医学総合管理料の算定要件
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医療保険と介護保険の区分け
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夜間・休日・深夜対応に伴う加算の正しい算定
こうした要素が重なるため、外来診療に比べて返戻や査定のリスクが高くなります。レセプト精度の低さはそのまま収益の不安定さにつながり、また事務スタッフの教育や負担も大きな課題となります。
公共性と持続可能性を両立させる工夫
在宅医療は「地域の患者を支える社会的役割」と「クリニックとして経営を持続可能にする責任」の両面を持ちます。その両立のために、次のような工夫が求められます。
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移動効率の改善
患者宅の地理的配置を考慮し、訪問ルートやスケジュールを最適化する。ICTを活用することで無駄な移動を減らし、医師の時間を診療に集中させられます。 -
レセプト精度の向上
請求の取りこぼしを防ぐことは、単なる利益追求ではなく、提供した医療に正当な評価を受けるという意味で重要です。スタッフ教育や定期的なチェック体制を整えることで、経営の安定につながります。 -
地域連携の強化
病院、訪問看護ステーション、薬局、ケアマネジャーとの関係性を築くことで、安定的に患者を紹介してもらえる体制が整います。これは収益性の安定化だけでなく、患者に切れ目のない医療を提供するうえでも不可欠です。 -
スタッフの負担軽減
24時間体制を一人の医師が担うのは限界があります。複数医師での分担、地域での在宅医療連携体制への参加など、持続可能な体制設計が必要です。
院長が持つべき視点
在宅医療を運営する際、院長が意識すべき視点は次の通りです。
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患者数を増やすよりも、1件あたりの診療を丁寧に、効率的に行う
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正確なレセプト請求を通じて、提供した医療に正当な評価を得る
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地域包括ケアの一員としての責任を果たしつつ、スタッフが疲弊しない体制を整える
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公共性と経営の両立を前提に、持続可能性を常に考える
まとめ
在宅医療は「患者が自宅で安心して暮らせる社会」を支える公共的役割を担っています。その一方で、クリニックが持続的に在宅医療を提供するためには、経営的な視点も欠かせません。
移動時間や24時間体制、複雑な診療報酬体系といった課題は避けられませんが、移動効率の工夫やレセプト精度の向上、地域連携の強化といった取り組みによって、医療の質と経営の安定は両立し得ます。
在宅医療の経営は「利益追求のため」ではなく、「社会の公器としての医療を持続的に提供するための基盤づくり」である。この視点を院長が持ち続けることこそ、これからの時代に求められる医療経営のあり方ではないでしょうか。