2025.10.14
クリニック奮闘記
vol.1010 クリニック事業承継における患者引継ぎの注意点 (個人情報保護と医学的継承の両立)
はじめに:事業承継は「患者の安心の継続」が第一
クリニックの事業承継で最も重要なのは、単に経営権を譲渡することではなく、患者にとって安心できる医療を継続することです。
しかし現実には、患者情報の取扱いやカルテ引継ぎ、治療方針・処方薬の変更など、医療と個人情報保護の狭間にある問題が多く、承継時のトラブルの多くがこの領域で発生します。
本稿では、
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個人情報保護の観点からの注意点
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医学的継承の観点からの課題と対処
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実務上の具体的引継ぎ手順
の3点を中心に、クリニック承継時の患者引継ぎリスクとその解決策を整理します。
① 個人情報の引継ぎ ― 法的根拠と実務運用
(1)個人情報保護法と医療情報の特殊性
患者情報は、個人情報保護法上の「要配慮個人情報」に該当します。病歴、処方内容、検査結果など、本人の健康状態に関する情報を扱うため、通常の顧客データより厳格な取り扱いが求められます。
医療機関の承継において、カルテ・診療録の引継ぎを行う際には、「個人情報の第三者提供」に該当するか否か が問題になります。
現行法上、次のように扱われます。
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承継先が同一の医療機関として事業を継続する場合
→ 個人情報保護法第23条第4項第1号「事業の承継に伴う提供」に該当し、本人同意が不要。 -
承継後に別法人・別診療所として新設される場合
→ 原則として本人同意が必要。
したがって、**法人格の承継形態(医療法人の持分譲渡/新設分割/個人開業の廃止→新規開設)**により、同意の要否が異なります。
(2)カルテ引継ぎの法的根拠と期間
カルテは医師法第24条に基づく保存義務があり、最終診療日から5年間は保管が必要です。承継の場合、このカルテをどう扱うかがポイントになります。
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医療法人の承継(出資譲渡などで同一法人が存続)
→ 法人としての主体が変わらないため、カルテは自動的に承継される。 -
個人開業医から別個人へ譲渡する場合
→ 原則として旧院長が保管責任者。ただし承継契約に基づき、新院長が保管・利用を引き継ぐことも可能。
この場合、患者への掲示・説明・同意取得が実務上必要。
(3)患者同意の取得方法
個人診療所の承継で本人同意が必要な場合、次のような方法が推奨されます。
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院内掲示(例:「○月○日をもって院長が交代します。診療録は新院長にて適正に管理します。」)
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同意書・確認書の交付(定期受診者や在宅患者などに対して)
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ホームページ・DM等での告知
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電子カルテシステム会社への移転通知・設定変更
同意取得の際は、「誰が」「どの範囲の情報を」「どの目的で」引き継ぐのかを明記し、患者が不安を感じない説明が重要です。
② 医学的継承 ― 治療の連続性をどう確保するか
(1)加療中患者の医学的引継ぎ
承継時には、通院中の患者(加療中患者)の治療をどのように継続するかが最大の焦点となります。特に慢性疾患(糖尿病・高血圧・皮膚疾患・心疾患など)の患者は、治療が途切れると重篤化リスクがあります。
後継医師は、単にカルテデータを受け取るだけではなく、
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現在の診療方針
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処方薬・用量・変更履歴
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検査スケジュール
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経過観察中の症状
を正確に把握する必要があります。
前院長との引継ぎミーティングや書面でのサマリー作成が有効です。
カルテ内容だけでなく「なぜその治療方針にしているのか」という医師の意図まで伝えることで、患者トラブルを未然に防げます。
(2)薬剤処方と治療方針の継続
承継後、後継医師が薬の処方を変更するケースでは、医学的妥当性の説明と慎重なタイミングが必要です。
変更理由(副作用リスク・新薬導入・保険適用変更など)を患者に十分説明しないまま処方を変えると、「先生が変わって薬が変わった」との不信を招くことがあります。
**段階的な切り替え(並行投与期間を設ける)**や、処方意図の文書化を行うことが望まれます。
(3)診療情報提供書の活用
前医から後医への「診療情報提供書(サマリー)」を形式的に作成することで、医療法上も医学的連続性を確保できます。特に以下の内容を明文化するのが有効です:
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主要診断名・治療方針
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投薬内容・検査歴
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アレルギー情報・副作用歴
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検査予定・フォローアップ計画
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患者本人の希望や生活背景
これにより、後継医師がカルテを参照せずとも、全体像を掴めるようになります。
③ 実務上の引継ぎプロセスとチェックリスト
ステップ1:事前準備
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承継スケジュールを明確に設定(開院・閉院の届出時期を確認)
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カルテ保存形式(紙・電子)の確認
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電子カルテベンダーとの契約確認(データ移転可否・費用・サポート体制)
ステップ2:個人情報・カルテデータの整理
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診療中患者リストの作成
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保存期間経過カルテの廃棄(適法手続)
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個人情報保護法に基づく「利用目的変更」の掲示
ステップ3:引継ぎ契約書への明記
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「カルテ・患者情報を引き継ぐ」旨を契約書に明記
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個人情報管理責任者(旧院長・新院長)の明確化
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カルテの物理的・電子的管理方法の指定(鍵管理・アクセス制限)
ステップ4:承継直後の運用
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患者への周知(院内掲示・ホームページ・SNS告知)
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クレーム対応マニュアルの整備
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診療方針変更時の説明責任・インフォームドコンセント徹底
④ 患者引継ぎの失敗事例と対策
事例1:患者情報の無断移転で苦情
旧院長の承諾は得たが、患者本人への告知を怠り「知らない医師にカルテが渡った」とクレームに発展。
→ 対策:告知文・院内掲示・同意書を整備。
事例2:薬の処方変更で不信感
承継後すぐに後継医が薬を変更。患者が不安を抱き転院。
→ 対策:処方意図を説明し、段階的切り替えを行う。
事例3:電子カルテ移行トラブル
ベンダー変更でデータ変換ができず、紙出力対応で混乱。
→ 対策:承継前にベンダー間のデータ互換性を確認。
⑤ まとめ:患者の信頼を継ぐことが最大の資産
患者引継ぎの本質は、「個人情報の移転」ではなく「信頼関係の継承」です。
どれほどスムーズに事業が譲渡されても、患者が不安を感じれば承継は失敗に終わります。
そのためには、法的遵守を前提に、医学的連続性と患者心理の両面を丁寧に扱うことが必要です。