2025.11.11
クリニック奮闘記
vol.1029 在宅医療における人材確保とチームづくりの経営的考察
―人を中心に据えた持続可能な在宅医療の実現に向けて―
1.はじめに
近年、在宅医療の重要性は高まる一方である。高齢化の進展、地域包括ケアシステムの推進、病院の在院日数短縮など、社会構造の変化がその背景にある。医療機関における「在宅対応力」は、地域医療を支える基盤的機能となりつつある。しかし、在宅医療クリニックの経営現場を見渡すと、最大の経営課題は依然として**「人材」**にある。
診療報酬や制度改定の影響は確かに大きいが、それ以上に、医師・看護師・事務スタッフといった多職種が安定的に勤務できる体制を構築できるかどうかが、経営の持続性を決定づけている。在宅医療は、医療機器よりも「人」がサービスの中核を担う領域であり、人的資源の質と量がそのまま医療の質に直結する。したがって、人材の確保・育成・定着をいかに戦略的に位置づけるかが、今後の在宅医療経営における根幹的課題といえる。
2.在宅医療人材の確保と定着の現状
全国的に医療従事者の人手不足は深刻化しており、とりわけ在宅医療分野ではその傾向が顕著である。看護師にとっては「夜間対応」「急変時のプレッシャー」「訪問先での孤立感」など、勤務上の心理的負担が大きい。医師にとっても、24時間対応という業務特性から、診療時間外の呼び出しやオンコール対応への抵抗感が強い。
さらに、在宅医療を支える事務スタッフにおいても、スケジュール調整、カルテ記載、レセプト請求、地域連携といった多様な業務を同時並行で行う必要がある。これらの業務は医療事務の範疇を超えた広い知識と判断力を要求し、定着を阻害する要因となっている。
こうした状況に対し、単なる求人広告や人材紹介に頼るだけでは根本的な解決には至らない。むしろ、**採用から育成・定着までを包括的に設計する「人材戦略」**が不可欠である。採用段階では「在宅医療の理想」だけを掲げるのではなく、夜間対応や看取りを含む現実的な業務内容を誠実に伝え、その上で支援体制や教育プログラムの充実を明示することが求められる。採用の入口における透明性こそ、ミスマッチを防ぎ、長期的定着を促す第一歩である。
3.チーム医療と心理的安全性
在宅医療の提供体制においては、医師単独の力では限界がある。看護師、事務職、ドライバー、連携先の訪問看護ステーションや薬局など、多職種が有機的に協働するチーム医療の概念が不可欠である。チームが機能するためには、単に情報を共有するだけでなく、メンバー間の信頼関係と心理的安全性が担保されなければならない。
心理的安全性とは、組織の中で自分の意見を表明しても否定や報復を受けないという安心感を指す。これが確立されていない職場では、スタッフは報告や相談をためらい、結果として医療の安全性が損なわれる。院長や管理者は、ミスを責めるのではなく、むしろ「報告を歓迎する文化」を育む姿勢が求められる。
例えば、訪問後のカンファレンスで「どのような判断が良かったか」「改善すべき点は何か」をチーム全体で共有し、学びの機会とすることが有効である。こうした取り組みが定着すれば、スタッフ間の相互理解が深まり、離職率の低下、業務の標準化、ひいては患者満足度の向上へとつながる。
4.理念経営から設計経営へ
多くの在宅医療クリニックは「地域に寄り添う」「患者と家族の尊厳を支える」といった理念を掲げている。しかし、その理念が日常のマネジメントに具体的に反映されているケースは多くない。理念を機能させるためには、それを運用できる組織設計が不可欠である。
たとえば、役割分担の明確化、情報共有のルール化、評価とフィードバックの仕組みの整備といった基本的なマネジメント体制が整っていなければ、現場は属人的に動き、理念は形骸化する。
特に小規模のクリニックでは、日々の診療業務が優先されるあまり、会議体や研修の時間が削られる傾向がある。だからこそ、短時間でも「定例カンファレンス」や「週次報告会」を制度化し、情報共有を形式として定着させることが重要である。
また、ICTツールの導入によって、訪問スケジュールやカルテ記載、チーム間のメッセージ共有を一元化することも有効である。業務の可視化は、単に効率化のためだけではなく、組織の信頼を支える「透明性」の確保という観点でも大きな意味を持つ。
5.働きやすさと成長機会の両立
在宅医療に携わるスタッフは、強い使命感を持つ一方で、燃え尽きやすい職種でもある。頑張る人ほど負担を抱え込みやすく、離職につながるケースも少なくない。そのため、経営者は働きやすさの設計と成長機会の提供を両立させる必要がある。
働きやすさの面では、オンコール体制の分担、夜間対応の外部委託、柔軟な勤務時間の設定など、職員が長く働ける仕組みを設けることが求められる。また、スタッフ同士が相互に支援し合う体制をつくることも、精神的負担の軽減につながる。
一方で、専門性を高めるための成長機会も不可欠である。定期的な研修、症例検討会、地域連携会議への参加など、学びの場を提供することで、スタッフは自らの役割に誇りと成長を実感できる。在宅医療専門看護師や地域連携コーディネーターといったキャリアパスの提示も、長期的な定着を促す要素となる。
6.人材投資と経営の持続可能性
短期的に見れば、人材教育やチームづくりへの投資はコストとして認識されがちである。しかし、在宅医療においてはこれこそが最も費用対効果の高い投資である。人材が安定すれば、患者・家族との信頼関係が深まり、紹介ルートが拡大し、訪問件数が安定する。また、教育済みスタッフが増えることで業務効率が向上し、結果的に経営基盤が強化される。
さらに、人的安定は医療の質を高め、地域からの信頼獲得にも直結する。在宅医療は設備や技術よりも「人の関わり」に価値が置かれる分野であり、スタッフ一人ひとりの姿勢がクリニックのブランドを形づくる。したがって、「人材投資=ブランド形成」と捉え、長期的視野で育成と定着の仕組みを整えることが、経営の持続可能性を支える鍵となる。
7.おわりに
在宅医療の現場では、医療行為の前に「人と人との関係性」がある。患者と家族、医療者と地域、そしてチームの中での信頼関係が、医療の質を決定づける。したがって、在宅医療クリニックにおける人材確保とチームづくりは、単なる人事課題ではなく、経営そのものの核心である。
制度改定や診療報酬の変動といった外的環境に左右されない経営を実現するためには、「人を守る仕組み」を中心に据えた戦略的運営が不可欠である。理念を掲げるだけではなく、それを日常の運営に落とし込み、組織として機能させること。これこそが、地域に信頼される在宅医療クリニックの条件であり、今後の医療経営における最大の競争優位性となるだろう。
