2025.12.10
クリニック奮闘記
Vol.1051 クリニックにおけるキャッシュフロー管理の重要性と運営上の課題
クリニック経営において、損益計算書の数字が黒字であっても、資金繰りが悪化し経営が不安定化することは決して珍しくない。特に医療機関は「売上は計上されているが、現金回収が遅れる」という構造的特徴を持つため、キャッシュフロー管理は一般企業以上に重要である。しかし現場では、月次の入金予定を精緻に把握することが難しく、経営者が資金繰りに不安を抱える事例も多い。
クリニックの資金繰りを複雑にする最大の要因は、診療報酬の"後払い構造"にある。診療報酬の大部分は、翌々月に支払われる社会保険・国保の審査支払金によって構成される。したがって、当月の売上が増えても資金化されるのは2か月後であり、このタイムラグが運転資金の不足や資金繰りの不安定さを生む。この構造を理解せずに単月の損益結果だけで経営判断を行うと、資金面のリスクを見誤る可能性が高い。
さらに、レセプトの返戻や査定が発生すると、本来入るはずの資金が遅延する。返戻率の管理はレセプト担当者の業務として認識されることが多いが、経営管理の視点から見れば「資金回収の遅延リスク」として捉え直すべきである。返戻や査定による入金遅延は、クリニックのキャッシュフローに直接的な影響を及ぼすため、その発生要因を定期的に分析し、予防策を講じることが必要である。
一般に、キャッシュフロー管理を適切に行うためには、「資金収入」「資金支出」「投資」「財務」の4つの流れを整理することが基本となる。しかし実務の現場では、これらの分類が曖昧なまま資金移動が行われているケースが多い。例えば、機器の更新や内装改修といった投資支出が、通常の経費と混在して管理されると、資金繰りの全体像が不明瞭になり、将来的な資金不足のリスクが高まる。
クリニックにおけるキャッシュフロー管理の要諦は、「必要な時に必要な資金を確保する」という極めてシンプルな原則にある。この原則を実務に落とし込むためには、資金繰り表を月次だけでなく週次レベルで運用することが効果的である。特に支払いが集中する時期には、週単位の資金繰りの把握が経営安定の鍵となる。資金繰り表を運用する際には、診療報酬の入金予定、給与支払日、家賃、リース支払い、薬剤費などの固定的支出を確実に把握し、予測可能な資金出入りを一覧化することが求められる。
キャッシュフローを安定させるためには、内部に"無駄な資金滞留"を作らないことも重要である。在庫の過剰保有は、キャッシュフローの悪化を招く典型的な例である。また、未回収の自由診療の請求が積み上がっている場合も同様だ。医療機関は一般企業と比べて「掛売り」が少ないが、それでも美容医療など自由診療を導入する場合には、回収の仕組みを適切に設計しなければならない。
一方で、内部留保の不足は逆に経営の脆弱性を高める。クリニックは自然災害、感染症流行、設備故障など予測できない支出が発生しやすい産業であるため、「最低3か月分の固定費」に相当する内部留保は必要だと言われている。資金蓄積の考え方としては、毎月一定額を積み立てる方法が現実的であり、突発的な支出に備えた"経営の安全装置"として機能する。
資金繰りを安定化させるためには、従来の会計処理に加えて「未来志向の予算管理」を導入することが有効である。予算管理は一般企業では広く普及しているが、クリニックでは十分に運用されていないことが多い。予算制度を導入することで、年間の収支目標、設備更新計画、自由診療の導入などの施策が、資金繰りにどのような影響を与えるかを事前に検討することが可能となる。また、予算を月次で進捗管理することで、問題が早期に発見でき、必要な対策を迅速に講じることができる。
最後に、クリニックのキャッシュフロー管理において最も重要なのは、「現場と経営をつなぐ会計」である。財務データは経営者が判断するための材料であると同時に、現場スタッフの行動に影響を与える情報でもある。診療単価の傾向、レセプト返戻率、患者数の季節変動、在庫回転率など、現場の業務に密接に関わる数値を定期的に共有することで、スタッフの意識が変わり、業務改善が自然に進む。これこそが、クリニックに必要とされる"現場に根ざした財務管理"である。
