2026.02.09
クリニック奮闘記
Vol.1091 失敗を避ける組織は、なぜ成長しないのか
クリニックに蔓延する「失敗回避文化」
クリニック経営の現場では、失敗やミスは徹底して避けられるべきものとして扱われる。それは一面で正しく、安全であり患者への責任感を示す姿勢でもある。しかし、医療機関、とくに小規模なクリニックの組織文化において、「失敗は悪」とする価値観がそのまま人材育成の方法論になっていることは、成長という観点から見ると致命的な欠陥をはらんでいる。
この連載では、長谷川雅彬著『君は体験に投資しているか』の主張を出発点にしつつ、失敗を恐れる組織がなぜ人財の成長を阻害するのか、そして 経験こそが人財の最大の差別化要因であるという事実 を、実際のクリニックの事例を交えながら論じていく。
「失敗ゼロ」は本当に良いことか?
クリニックにおける失敗とは、医療事故や重大なミスだけではない。細かな業務手順の誤りやコミュニケーション不足による患者への説明漏れもまた、現場では「失敗」と呼ばれ、厳しく戒められることが少なくない。
たとえば、受付事務での手順変更がうまく伝わらず、患者対応の際に戸惑いが生じたとする。この場合、現場では「なぜもっと注意しなかったのか」「最初からこうすべきだった」といった評価が優先されがちである。しかし本質的には、そこで起きた事象は 「経験がなかったために発生した現象」 であり、逆に言えば その経験を積むことでしか防ぎようがない事例でもある。
医療プロフェッショナルは、理論や手順だけでなく、現場での体験があってはじめて高いレベルの判断ができるようになる。受付業務も、診療補助も、看護業務も同じであり、 経験の欠如は成長の停滞そのものなのだ。
成長と経験の関係
「成功」と「失敗」はしばしば同列に語られるが、実際の成長プロセスとしては全く異なる働きを持つ。成功は結果としての報酬や評価をもたらすが、経験値としての成長を担保するとは限らない。逆に、失敗は本人にとって強烈な学習機会となり、次の行動に即時反映される。
教育心理学の観点からも、試行錯誤を伴う学習は最も定着しやすいことが指摘されている。しかし多くのクリニック現場では、経験値そのものを評価する文化が弱い。医療現場では安全第一の価値観が強いため、失敗そのものをリスクとして扱いすぎるあまり、その後の学びの機会が奪われてしまう。
たとえば、あるクリニックで新人事務スタッフが初めてレセプト点検を担当した際、ミスが多くて業務を戻されてしまったというケースがある。このとき、先輩や経営者が取るべき対応は何か?
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「ミスを叱責する」
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「再度教育資料を渡して終わる」
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「実際にどこで間違えたかを分析し、次回に備えるための体験学習機会とする」
最も効果的なのは3番であり、これは 失敗を成長のための投資とする思考 と一致する。
コンフォートゾーンが育成を阻む
クリニックは小規模事業所であるがゆえに、人に仕事を任せる機会が少なくなりがちだ。院長やベテランスタッフが中心となり、経験豊富な彼らが業務を抱え込むことで、現場がうまく回るという側面がある。しかし、その安心感こそが スタッフの成長を阻害している本質的原因でもある。
たとえば、受付・会計・レセプトといった重要な業務を、院長やベテランだけがやり続けるクリニックでは、そのスタッフ以外は実務経験を積む機会すらない。結果として組織全体の経験値が停滞し、属人的なスキルしか生まれない。
これが意味することは単純だ。
コンフォートゾーン内で安全に仕事をすることは、失敗がない代わりに成長もないということ である。
成功体験の積み重ねは確かにモチベーションを高めるが、経験値の本質は「困難を乗り越えた体験」にある。
「経験要件」がクリニックの差別化になる
ではなぜ経験が重要なのか?それは経験が模倣困難な価値を生むからである。
医療業界には多くのクリニックが存在し、診療内容や設備に大きな差がない場合も少なくない。では患者やスタッフ、関係者にとって差別化要因は何か?
それは
経験に裏打ちされた判断力と対応力である。
スタッフが多様な体験を持つクリニックは、患者からの問い合わせや要望にも柔軟に対応できる。ミスやトラブルさえも、次への改善機会として取り込み、ノウハウとして組織全体に蓄積していくことができる。
たとえば、レセプト査定返戻が起きた際、単に返戻理由を処理するだけでなく、
「どのような過程でミスが起きたか」
「どのような対応が返戻防止につながるか」
という思考を持って分析できるかどうかは、経験値の差として現れる。
まとめ:失敗を恐れない育成文化へ
医療機関、とくに小規模クリニックにおいては、失敗を避ける文化が人材育成の足かせになることが多い。しかし、成功体験だけではなく、失敗を含んだ体験こそが経験値を高め、組織を強くする最大の要素である。
失敗を恐れるあまり、経験値の蓄積を阻害してしまっては、将来の差別化要因を自ら放棄するのと同じである。これからのクリニック経営に求められるのは、単にミスを避けることではなく、ミスから学びを得て、組織全体の判断力を高めていく文化を築くことである。
