Vol.1094 経験値の差が、クリニックの差になる ― 院長が抱える葛藤の正体 ―

レセプト代行サービス メディカルタクト
TEL:06-4977-0265
お問い合わせ
backnumber

クリニック奮闘記

2026.02.09

クリニック奮闘記

Vol.1094 経験値の差が、クリニックの差になる ― 院長が抱える葛藤の正体 ―

クリニックを経営する院長の多くは、「人を育てなければならない」と頭では理解している。しかし実際の現場では、その思いとは裏腹に、業務を自分の手元に残し続けてしまう場面が少なくない。

「ここは自分がやったほうが早い」
「任せてミスが起きたら、結局自分が対応することになる」

こうした判断は、決して怠慢や独占欲から生まれるものではない。むしろ、患者に対する責任感や、現場を止めてはいけないという使命感から来ている場合がほとんどである。

しかし、その判断が積み重なった先に、院長自身が気づかぬうちに抱え込んでいるものがある。それが、経験値の偏りである。

日々の診療、スタッフ対応、トラブル処理、業務改善。
その多くを院長自身が引き受け続けることで、クリニック全体としての経験は増えているように見える。しかし実際には、経験は院長個人に集中し、組織としては蓄積されていない。

院長が不在のとき、判断が止まる。
想定外の事態が起きたとき、スタッフが萎縮する。
こうした光景に直面したとき、院長は「まだ任せる段階ではなかったのかもしれない」と自分の判断を疑う。

だが、本質は別のところにある。
任せてこなかったから、経験が分散していないだけなのである。

ある院長は、スタッフに業務を任せた際の失敗が頭から離れず、「同じことが起きたらどうしよう」という不安を常に抱えていた。その不安が、無意識のうちに任せる範囲を狭めていた。しかし、冷静に振り返ってみると、その失敗は致命的なものではなく、むしろ業務フローの不備や説明不足が原因だったことに気づいたという。

それでも、院長の心の中には葛藤が残る。
任せることは、人を信じることであり、同時に自分の管理範囲を手放すことでもある。
院長という立場上、その一歩は想像以上に重い。

クリニックの経営は、常に判断の連続である。診療方針、人員配置、設備投資。そこに「人に任せる」という判断が加わると、失敗の責任も含めて引き受ける覚悟が求められる。その覚悟が持てずにいる限り、院長は安全な選択を続けることになる。

しかし、安全な選択を続けた結果として生まれるのが、経験値の差である。

経験が分散しているクリニックでは、スタッフ一人ひとりが判断の背景を理解し、状況に応じた対応ができる。一方、経験が院長や特定のスタッフに集中しているクリニックでは、想定外の事態が起きた瞬間に対応力の差が露呈する。

この差は、日常業務では見えにくい。だが、患者対応の微妙な判断、トラブル発生時の初動、業務改善のスピードといった場面で、確実に表面化する。

ある院長は、かつて「スタッフが育っていない」と感じていた。しかし、実際にはスタッフが成長する機会を与えていなかっただけだったと後に振り返る。業務を段階的に任せ、失敗を共有し、判断の背景を言語化するようにしたところ、数年後には院長が関与しなくても現場が回るようになった。

そのとき院長が感じたのは、安心感と同時に、わずかな寂しさだったという。
自分がいなくても成り立つという事実は、誇らしくもあり、同時にこれまでの自分の役割が変わったことを意味していたからである。

しかし、その変化こそが、クリニックが一段階成長した証だった。

クリニックの差別化は、設備や立地だけで決まるものではない。
日々の判断を誰が担い、どれだけの経験が組織全体に行き渡っているか。
その積み重ねが、数年後に大きな差となって表れる。

人に任せることは、院長にとって勇気のいる決断である。しかし、その決断を避け続けた結果、経験が偏った組織は、環境の変化に弱くなる。逆に、経験を分散させたクリニックは、多少の揺らぎがあっても柔軟に対応できる。