Vol.1104 医療機関M&Aにおけるレセプトデューデリジェンス未実施の帰結 ―営業権評価の毀損と行政対応リスクの実証的考察―

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クリニック奮闘記

2026.02.24

クリニック奮闘記

Vol.1104 医療機関M&Aにおけるレセプトデューデリジェンス未実施の帰結 ―営業権評価の毀損と行政対応リスクの実証的考察―

要旨

医療機関のM&Aにおいて、財務データを基礎とした企業価値評価が一般的に行われている。しかし、レセプトデューデリジェンスを実施しないまま買収を行った結果、想定した医業収入が維持できない、あるいは審査機関からの査定や個別指導の対象となる事例が実務上確認されている。本稿では、レセプト精査を欠いたM&Aの帰結を、営業権(のれん)評価との関係から分析し、医療機関特有のリスク構造を明らかにする。


1.はじめに

医療機関M&Aの目的の一つは、既存患者基盤および収益力を承継し、買収後の早期黒字化を実現することである。この際、企業価値算定の中心となるのが過去の医業収入およびEBITDAであり、これらを基礎として営業権が評価される。

しかし、医業収入が診療報酬制度に依存している以上、その持続可能性は請求の適正性に強く左右される。レセプトデューデリジェンスを実施しない場合、帳簿上の売上を前提とした営業権評価が過大となるリスクが内在する。

本稿では、実務上発生した事例を基に、この構造的問題を検討する。


2.レセプト精査欠如が営業権に与える影響

営業権は、将来期待される超過収益力を基礎として算定される。したがって、基礎となる医業収入が適正請求を前提としていない場合、のれんの回収可能性に重大な影響が生じる。

特に以下のような場合、買収後に収益が下振れする傾向が確認されている。

第一に、過剰請求が是正された場合。
第二に、カルテ記載不備により減点が増加した場合。
第三に、審査機関の監視強化により算定運用が変更された場合。

これらはいずれも、財務諸表のみの分析では事前把握が困難である。


3.ケーススタディ

ケース1:買収後の収益下振れ

ある内科系クリニックの買収事例では、直近3年間の医業収入が安定的に推移していたことから、高い営業権が設定された。買収後、買主側は請求の適正化を目的としてレセプト点検体制を強化した。

その結果、従前は算定されていた複数の管理料について、算定要件の充足が不十分である症例が一定割合存在することが判明した。算定基準を厳格に適用したところ、年間医業収入は約9%減少し、当初の事業計画に対して営業利益が大きく乖離した。

本件では、レセプトデューデリジェンスを事前に実施していれば、営業権評価の前提が修正されていた可能性が高い。


ケース2:審査機関からの査定増加

別の事例では、皮膚科クリニックの買収後、支払審査機関からの減点件数が急増した。買収前の財務数値は良好であり、返戻率も表面上は大きな問題がないと判断されていた。

しかし詳細分析の結果、特定処置の算定基準に関する解釈が審査側と乖離していたことが判明した。従前は見逃されていた算定が、審査強化のタイミングで集中的に査定対象となったのである。

結果として、年間収益は約6%減少し、加えて再請求業務の増加により事務コストも上昇した。


ケース3:個別指導対象化による経営負荷

さらに別の事例では、在宅医療を主体とするクリニックを買収後、算定構成の偏りが要因となり個別指導の対象となった。買収前の段階では、在宅点数の高さは「高収益体質」と評価されていた。

しかし、レセプトの詳細確認を行ったところ、訪問頻度と算定内容の整合性に関する確認が求められ、結果として一部算定の見直しを余儀なくされた。

この事例では、直接的な減収に加え、管理体制整備のための人的コスト、経営者の対応負担、地域における信用低下リスクなど、財務モデルに現れにくい影響が顕在化した。


4.共通する失敗要因の分析

これらの事例に共通するのは、いずれも財務数値自体には大きな異常が認められなかった点である。すなわち、従来型の財務デューデリジェンスだけでは、請求構造に内在するリスクを十分に把握できなかった。

特に以下の三点が重要な示唆を与える。

第一に、帳簿上の安定収益は必ずしも持続可能性を意味しないこと。
第二に、審査機関の運用変化により収益構造は短期間で変動し得ること。
第三に、営業権評価は請求精度の検証を前提としなければ過大となる可能性が高いこと。


5.実務的インプリケーション

医療機関M&Aのリスク管理の観点からは、少なくとも過去2~3年分のレセプトを対象としたサンプルレビューおよび構成比分析を実施することが望ましい。また、減点理由の傾向、算定集中項目の妥当性、カルテ記載との整合性を確認することで、収益の質を多面的に評価できる。

特に営業権が大きい案件ほど、レセプトデューデリジェンスの重要性は相対的に高まる。これは、のれん回収の原資が将来の適正請求収益に依存しているためである。


6.結論

レセプトデューデリジェンスを実施しない医療機関M&Aは、表面的な財務数値に依拠した不完全な意思決定となるリスクを内包している。実務事例が示すとおり、買収後に収益が下振れする、査定が増加する、あるいは個別指導の対象となるといった問題は、事前の請求精査により一定程度予見可能である。

医療機関の営業権評価の合理性を担保するためには、財務分析とレセプト分析を統合したデューデリジェンス体制の確立が不可欠である。これは買主の投資保全のみならず、売主にとっても適正な企業価値提示を可能とする点で、今後の医療M&A実務における標準的手法として位置づけられるべきである。