Vol.1196 令和8年度診療報酬改定を経営の羅針盤とする ― 30年ぶりの大幅プラス改定をどう読み解くか

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Vol.1196 令和8年度診療報酬改定を経営の羅針盤とする ― 30年ぶりの大幅プラス改定をどう読み解くか

2026年6月1日、令和8年度診療報酬改定が施行された。診療報酬本体の改定率はプラス3.09%であり、これは1994年度以来、およそ30年ぶりの高水準となる大幅なプラス改定である。長らく続いたマイナス基調のトレンドが明確に転換した点において、この改定は単なる点数の増減にとどまらず、医療機関の経営環境そのものに対する国の姿勢の変化を示すものと理解すべきである。本稿では、この改定を院長がどのように経営の羅針盤として位置づけるべきかを、経営管理全般の視点から検討したい。

改定の意味を理解するためには、まずこの数字がどのような経緯で決まったのかを知っておくとよい。当初、財務省は改定率を1%台に抑制する案を主張していたと報じられている。医療費の伸びは国家財政に直結するため、抑制圧力は常に強く働く。しかし最終的には、30年ぶりの物価高と賃金上昇という環境変化に対応するには、公定価格である診療報酬も相応の水準で応えるべきだという認識が優先され、3%を超える改定率が決定された。この背景には、厚生労働省の調査で報告された、病院のおよそ半数が赤字経営であるという医療機関の経営難の深刻さがある。すなわち、今回のプラス改定は、余裕があるから引き上げられたのではなく、医療提供体制の維持が危機に瀕しているという判断のもとで、いわば緊急避難的に決定されたものなのである。この成り立ちを理解すれば、改定率の数字だけを見て自院の収益が自動的に3%増えると期待することが、いかに危ういかが分かる。

まず、改定率の内訳を正確に把握しておくことが重要である。本体プラス3.09%のうち、その過半にあたる約1.70%が医療従事者の賃上げ対応分に、約0.76%が物価高騰への対応分に充てられている。すなわち、改定率全体のおよそ8割が、足元の経営環境の悪化に対する補填的な性格を帯びているのである。この構造を理解しないまま「30年ぶりの大幅増収」と楽観的に受け止めると、経営判断を誤ることになる。プラス改定の大部分は、上昇した人件費と物件費を補填するために交付されるものであり、そのまま医業利益として院内に留保できる性質のものではない。むしろ、賃上げ対応分については処遇改善への充当が制度上義務づけられており、原資として適切に配分されているかどうかが問われることになる。

この点を象徴するのが、基本診療料の動きである。初診料は291点で据え置かれた一方、再診料は現行の75点から76点へと1点引き上げられた。さらに、令和8年度および令和9年度の物価上昇に段階的に対応するため、基本診療料の算定に併せて算定できる「外来・在宅物価対応料」が新設された。1点あたり10円という単価で考えれば、これらは一見わずかな上乗せに映る。しかし、経営はストックではなくフローで動く。例えば、1日あたり平均40人の再診患者が来院し、月間20日診療する内科クリニックを想定してみよう。再診料の1点アップと物価対応料の2点を合わせた3点、すなわち30円の増収は、単純計算で月間2万4000円、年間では28万8000円を超える。個々の点数は小さくとも、延べ患者数を乗じたとき、その経営インパクトは決して無視できない規模となる。この「単価×数量」という視点こそ、経営管理の出発点である。

ここで注意を促したいのは、こうした点数上のプラスが、同時に発生している費用上昇と切り離せない関係にあるという点である。物価対応料が新設された背景には、光熱費や医療材料費、そして人件費の高騰という現実がある。つまり、増収分の相当部分は、すでに上昇してしまった費用を後追いで補填しているにすぎない。したがって、経営管理の観点からは、点数の増加を確認するだけでなく、同じ期間に自院の費用構造がどれだけ変化したのかを併せて把握しなければ、実質的な収益力の変化を見誤ることになる。医業収益の増加率と、人件費・物件費の増加率を並べて眺めたとき、初めて自院が改定の追い風を受けているのか、それとも費用上昇に押し戻されているのかが見えてくる。改定を経営に活かすとは、増収の側面と費用の側面を両面から捉えることにほかならない。

改定を経営に活かすうえで、院長が最初に取り組むべきは、自院がどの加算を算定できているのか、そして取りこぼしている加算がないのかを棚卸しすることである。今回の改定で特に注目すべきは、生活習慣病管理料に付随する加算の再編である。従来の「外来データ提出加算」は廃止され、生活習慣病管理の質に応じて多段階で評価される「充実管理加算」へと移行した。この充実管理加算は、主病である脂質異常症・高血圧症・糖尿病ごとに、体制整備と実績に応じて充実管理加算1(30点)、2(20点)、3(10点)の3段階で評価される仕組みである。上位20%の実績を持つ医療機関は加算1、中位30%は加算2、体制整備のみの下位50%は加算3という設計であり、単に体制を整えるだけでなく、診療の質そのものが点数に反映される構造へと踏み込んでいる。

例えば、高血圧症と脂質異常症を主病とする患者を多く抱える循環器科クリニックを考えてみよう。仮に生活習慣病管理料の対象患者が月間300人おり、そのうち相当数について充実管理加算1(30点)を算定できるとすれば、患者数に応じて増収が積み上がっていく。逆に、外来データの提出体制が整わず加算そのものを算定できなければ、この収益機会をまるごと逸することになる。ここで重要なのは、充実管理加算の準備には最低でも4か月から6か月を要するという実務上の制約である。必要なデータを記録しながら診療を行い、エラーを排除し、提出可能な形式に整えるまでには相応の時間がかかる。試行データに不備があれば差戻しとなり、準備期間が実質的に倍増するケースも想定される。したがって、この加算への対応は「いずれ検討する」課題ではなく、可及的速やかに着手すべき経営課題なのである。

なお、経過措置についても正確に理解しておく必要がある。令和8年3月31日の時点で、生活習慣病管理料に係る外来データ提出加算の届出をすでに行っている医療機関については、令和9年3月31日までの間に限り、充実管理加算1の主病管理に係る十分な実績を満たすものとみなされる取り扱いがある。すなわち、既存の届出医療機関には一定の猶予期間が設けられているのである。しかし、この猶予はあくまで期限つきのものであり、恒久的に上位評価が保証されるわけではない。猶予期間が終了した後は、検査実施患者の割合や連携加算の算定割合、受診間隔といった実績値によって評価が確定していく。したがって、経過措置に安住するのではなく、その期間を活用して質の高い診療の実績を着実に積み上げておくことが、猶予終了後の評価を左右することになる。制度の細部にまで目を配り、自院がどの区分に位置するのかを正確に把握することは、経営管理の基本動作である。

もう一つ、経営管理上見落とせないのが、医療DX関連加算の再編である。今回の改定では「電子的診療情報連携体制整備加算」が新設された。この加算で上位の評価(加算1で最大15点)を得るには、単にシステムを導入するだけでは不十分であり、電子処方箋や電子カルテ情報共有サービスの活用実績が求められる。マイナ保険証の利用率の維持・向上といった、日々の診療における地道なデジタル連携の積み重ねが、そのまま加算の可否を左右するのである。ここにも「体制を整えれば自動的に増収する」という時代から、「実績を伴った質を評価する」時代への移行が見て取れる。

こうした改定の全体像を俯瞰したとき、院長に求められるのは、国が重点的に財源を配分している政策分野――すなわち賃上げ、物価高対応、医療DX、かかりつけ医機能、生活習慣病の重症化予防――に、自院の診療体制をいかに合致させていくかという戦略的視点である。改定のたびに個別の点数を追いかけて一喜一憂するのではなく、国がどの方向に医療提供体制を導こうとしているのかを読み解き、その流れに自院を位置づけていくこと。それが、変化の時代における持続的な経営の要諦となる。

このことは、診療科の別を問わず当てはまる。整形外科であればリハビリテーション体制の評価や運動器疾患の管理に、小児科であれば予防接種や乳幼児健診を通じた継続的な関わりに、耳鼻科であれば手術体制や難聴管理の評価に、それぞれ改定の重点が及んでいる。皮膚科においても、保険診療における専門的な管理をどう位置づけるかが問われる。どの診療科であっても、改定が示す方向性の中に、自院の強みを接続できる接点が必ず存在する。重要なのは、その接点を見出し、限られた経営資源をそこに集中させる判断である。すべての加算を等しく追い求めるのではなく、自院の診療実態に照らして最も効果の大きい領域を見極め、そこに体制整備の労力を投じる。この選択と集中の判断こそ、院長が経営者として果たすべき役割である。

ここで強調しておきたいのは、これらの判断の材料が、すべてレセプトの中にあるという事実である。どの加算を算定できているか、どの患者にどの管理料を算定しているか、算定漏れがどこに潜んでいるか――これらはすべて、日々作成されるレセプトデータに記録されている。レセプトを単なる請求業務の産物として月末に処理して終わらせるのではなく、翌月以降の経営改善のための指標として読み解くこと。改定という外部環境の変化を、自院の経営判断へと翻訳する作業は、レセプトデータの分析なくしては成り立たない。30年ぶりの大幅改定という歴史的な転換点を、単なる制度変更として受け流すのか、それとも経営の羅針盤として活用するのか。その分岐点に、いま多くのクリニックが立っている。

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