Vol.1216 プラス改定でも手取りが増えない理由 ―令和8年度診療報酬改定、施行から2か月の検証―

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Vol.1216 プラス改定でも手取りが増えない理由 ―令和8年度診療報酬改定、施行から2か月の検証―

令和8年度診療報酬改定は、令和8年3月5日の告示を経て、薬価が同年4月1日、基本診療料および特掲診療料の大半が6月1日から施行された。本体改定率はプラス3.09パーセントであり、令和6年度改定のプラス0.88パーセント、令和4年度改定のプラス0.43パーセントと比較すれば、近年では例を見ない大幅なプラス改定である。しかし施行から2か月が経過し、6月診療分の入金を確認した院長から「数字が思ったほど動いていない」という感想が聞かれるようになった。本稿では、改定率の構造と外来診療所の収益構造を突き合わせ、なぜ体感と公表数値に乖離が生じるのかを検証する。

・ 改定率3.09パーセントという数字の読み方

第1に確認すべきは、公表されたプラス3.09パーセントが令和8年度と令和9年度の2年度平均値であるという点である。単年度で見れば令和8年度はプラス2.41パーセント、令和9年度がプラス3.77パーセントであり、今年度に実現するのは全体の8割弱にとどまる。物価対応料が令和9年6月以降に所定点数の2倍となることが告示段階で示されているのも、この段階的引上げの設計に対応している。

第2に、内訳の性格が従来と大きく異なる。プラス3.09パーセントのうち賃上げ対応がプラス1.70パーセント、物価対応がプラス0.76パーセント、食費および光熱水費対応がプラス0.09パーセント、経営悪化への緊急対応がプラス0.44パーセントを占め、これらを除いた純粋な診療内容の評価改定はプラス0.25パーセントにすぎない。後発医薬品への置換えの進展や長期処方、リフィル処方の推進による適正化でマイナス0.15パーセントが差し引かれることも踏まえれば、改定の実質は「医療機関の裁量で使える増収」ではなく、「人件費と物件費の上昇を補填するための紐付き財源」であると理解すべきである。加えて薬価等はマイナス0.87パーセントであり、院内処方を行う医療機関では薬価差益がさらに縮小している。

第3に、配分の偏りである。物価対応分の配分は病院にプラス0.49パーセント、医科診療所にプラス0.10パーセントとされており、初診料と再診料への反映は再診料の1点引上げにとどまった。改定後の初診料は291点で据置き、再診料は75点から76点となり、これに届出不要の外来・在宅物価対応料が初診時2点、再診時2点、訪問診療時3点で上乗せされる構造である。

・ 再診中心のクリニックで実際に起きていること

大阪府内で内科、循環器内科、呼吸器内科を標榜する診療所を例に検証する。1日あたり外来患者数60人、診療日数を月22日、再診患者の比率を88パーセントと仮定すると、月間の再診回数はおよそ1,160回、初診はおよそ160回となる。再診料の1点引上げと物価対応料2点を合わせた増分は再診1回あたり3点、すなわち30円である。初診についても物価対応料2点のみであるから20円にとどまる。単純計算では月間およそ3万8千円、年間で46万円程度の増収となる。

これに対し、同院がパートを含む常勤換算6名の職員を雇用し、令和8年度の最低賃金改定が目安どおり全国平均55円の引上げで実施された場合を考える。中央最低賃金審議会は令和8年7月28日に目安を答申しており、Aランク54円、Bランク56円、Cランク56円、全国加重平均は55円、率にして4.9パーセントである。時給1,200円前後の職員を6名、1人あたり月140時間で雇用していれば、55円の引上げは月額46,200円、年額554,400円の人件費増となる。再診料と物価対応料による増収は、最低賃金の引上げ分すら吸収しきれない水準にあることが分かる。

この構造が意味するところは明快である。改定の主要財源である賃上げ対応分プラス1.70パーセントは、初再診料ではなくベースアップ評価料に集約されている。届出を行い、賃金改善計画を策定し、実際に賃金へ充当した医療機関にのみ支払われる設計であり、届け出ていない医療機関にとって今回の改定は事実上のマイナス改定に近い体感となる。診療報酬は総額として増えたが、それは自動的に配分される性質の増額ではない。

・ 診療科ごとに現れ方が異なる

耳鼻咽喉科では、花粉症の季節に再診が集中し、通年で見ても再診比率が9割に近づく施設が少なくない。再診1回あたりの増点が小さい今回の改定は、患者数の多さが増収に結び付きにくい構造となる。他方、日帰り手術を実施している耳鼻咽喉科では、手術および術後管理に係る評価と、麻酔管理体制の見直しの影響を個別に検証する必要があり、外来単価の平均値だけを見ていては判断を誤る。

整形外科では、リハビリテーションの実施単位数が収益の中核を占めるため、初再診料の改定インパクトは相対的に小さい。むしろ理学療法士や作業療法士の賃金水準が地域相場に強く連動するため、ベースアップ評価料の届出区分の選択が損益を左右する。皮膚科および形成外科では、処置と外用薬の比重が高く、薬価引下げが院内処方の収支に直接響く。小児科は初診比率が相対的に高く、感染症流行期の変動が大きいため、月次の単価比較は前年同月との対比で行わなければ意味を持たない。

・ 6月と7月のレセプトで何を検証すべきか

改定の影響を把握するために院長が確認すべき指標は、総点数ではなく構成である。具体的には、患者1人1回あたりの平均点数を初診と再診に分けて前年同月と比較すること、算定を届け出た加算ごとの算定回数と算定率を把握すること、そして包括評価に移行した項目について出来高換算での機会損失を推計することである。これらは月次のレセプトデータから機械的に抽出できるにもかかわらず、実際には確認されないまま次の改定を迎える医療機関が多い。

生活習慣病管理料についても検証が必要である。令和8年度改定では管理料(Ⅱ)の包括範囲が縮小され、がんや認知症などの医学管理が別に算定できるようになった。療養計画書への患者署名が不要とされ、事務負担も軽減された。他方で管理料(Ⅰ)については血液検査の実施頻度に関する要件が加わっている。包括範囲の縮小は算定機会の拡大を意味するが、それは併算定可能となった項目を実際に算定した場合に限られる。レセプト点検の運用が改定に追随していなければ、制度上は可能な算定が漏れ続けることになる。

・ 薬価改定の影響は院内処方の診療所に集中する

薬価等はマイナス0.87パーセントの改定であり、加えて長期収載品については後発医薬品の薬価の75パーセント水準まで段階的に引き下げる方針が示されている。院外処方が中心の診療所にとって薬価の改定は直接の損益要因とはならないが、院内処方を行っている診療所では話が異なる。

小児科では、シロップ剤や散剤の調剤の利便性から院内処方を維持している施設が一定数存在する。皮膚科においても、外用薬を院内で交付する運用は珍しくない。これらの診療所では、薬価の引下げが仕入価格の引下げに完全には連動しないため、薬価差は縮小する方向に働く。医薬品の在庫は資金の固定でもあるから、採用品目数の見直しと発注単位の適正化を同時に行わなければ、収益と資金の双方を圧迫する。改定の年は、在庫の棚卸しと採用品目の整理を行う好機と捉えるべきである。

・ 9月末で切れる経過措置を確認する

令和8年度改定では、一部の加算について令和8年9月30日までの経過措置が設定されている。届出の猶予や掲示要件の猶予がこれに該当する。8月の時点で自院の届出状況を棚卸しし、10月以降も算定を継続できるかを確認しておかなければ、10月診療分から算定要件を欠いた請求となる危険がある。施設基準の届出は令和8年1月26日から電子申請の対象が113項目から324項目に拡大され、過去の届出内容を複製して再利用する機能も追加された。窓口混雑を避ける意味でも、電子申請の準備は早いほうがよい。

・ 経営者として何を判断すべきか

今回の改定が示しているのは、診療報酬が「診療内容への対価」から「経営行動への対価」へと性格を変えつつあるという事実である。賃上げを実施し、その実績を書面で示した医療機関に賃上げ財源が渡り、医療情報の電子的な連携を実際に運用している医療機関に医療DXの評価が渡る。何もしなくても物価上昇分が自動的に補填される制度設計ではない。

したがって院長が行うべきは、改定の点数表を読み込むことではなく、自院の収益構造を分解し、どの財源に対して自院が受給資格を持っているかを確認することである。レセプトは請求のための書類であると同時に、自院の診療行動を数値化した唯一の経営データでもある。その読み方を院内で共有できているかどうかが、令和9年6月の追加引上げを取りに行けるかどうかを分けることになる。プラス改定は、準備をした医療機関にとってのみプラスである。

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