Vol.1217 辞めない職場ではなく、育つ職場 ―クリニックにおける人材育成の設計―

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クリニック奮闘記

Vol.1217 辞めない職場ではなく、育つ職場 ―クリニックにおける人材育成の設計―

求人を出しても応募が来ないという声を、開業医から聞かない月はない。とりわけレセプト業務を任せられる経験者の採用は難しく、募集を出しても数か月にわたり応募がゼロという事例は珍しくない。この状況に対して多くの医療機関が取る対策は、時給の引上げと求人媒体の変更である。しかし、いずれも競合との相対的な条件競争にすぎず、地域の賃金水準が上がれば優位は失われる。本稿では、採用ではなく育成に軸足を置いた場合に何が変わるのかを検討する。

・ 「経験者を採る」という前提が成り立たなくなっている

医療事務の有経験者を採用するという発想は、経験者が労働市場に一定数存在することを前提としている。しかし現実には、経験者は既に他の医療機関に在籍しており、転職市場に出てくる母数は限られている。加えて、最低賃金の水準が上昇を続け、他業種との賃金格差が縮小した結果、医療事務という職種を選ぶ動機そのものが弱まっている。かつては「未経験でも入りやすく、専門性が身につく仕事」であったが、専門性が身につくまでに要する時間の長さが、短期的な時給の比較の前では不利に働くようになった。

この構造が変わる見込みは当面ない。したがって、経験者の採用を軸とした人員計画は成立しなくなりつつある。未経験者を採用し、自院で戦力化する仕組みを持てるかどうかが、今後の人員確保の分岐点となる。

・ 教育が属人化している状態を疑う

未経験者を採用しても定着しない診療所には、共通する特徴がある。教育が特定のベテラン職員の裁量に委ねられ、何をどの順序で教えるかが明文化されていないことである。この状態では、新人の習得速度は指導者の教え方に依存し、指導者が忙しい時期には教育が停止する。新人の側からは「聞かないと教えてもらえない」「聞くと迷惑そうにされる」という体験として蓄積し、入職から3か月前後で退職の意思が固まる。

大阪府内で内科と消化器内科を標榜する診療所では、受付業務の手順が全て口頭で伝えられており、内視鏡検査の予約に関する注意事項も担当者の記憶の中にしか存在しなかった。担当者が体調不良で1週間欠勤した際、前処置の説明が不十分なまま来院した患者が複数生じ、検査の延期が続いた。この事案を契機に、検査ごとの説明手順を書面化し、誰が対応しても同じ説明ができる状態を整えたところ、副次的に新人の教育期間が短縮された。標準化は、事故防止と教育の双方に効く。

・ 習得の段階を分けて示す

育成の設計において有効なのは、到達目標を段階に分けて明示することである。受付事務であれば、来院受付と会計を単独で行える段階、保険証と公費の確認および資格の変更に対応できる段階、算定の根拠を理解して入力の誤りに気付ける段階、そしてレセプト点検を担当できる段階といった具合に区分する。それぞれの段階に必要な知識と、到達を判定する基準を書き出すだけでよい。

この作業には副次的な効果がある。第1に、新人が自分の現在地を把握できるため、成長の実感が得られる。第2に、指導する側が何を教えるべきかを迷わなくなる。第3に、賃金や役割の決定に客観的な根拠が生まれる。何年勤めたかではなく、何ができるかで処遇を説明できるようになれば、勤続の長さと能力が一致しない場合の不満も扱いやすくなる。

耳鼻咽喉科では、花粉症の季節と夏季とで受付の繁忙度が大きく変動する。ある診療所では、繁忙期に受付が停滞することを問題視し、看護補助の職員が受付業務の初期段階を、受付の職員が器具の準備と洗浄の一部を担えるよう、相互に習得範囲を広げた。役割を固定せず、季節ごとに配置を変えられる体制としたことで、繁忙期の残業が減り、閑散期の手待ち時間も減少した。多能工化は人員削減の手段としてではなく、変動への対応力として設計すべきである。

・ 教える側を評価する

育成が定着しない理由として見落とされやすいのが、教える側の負担が評価されていないことである。指導は本来の業務に上乗せされる仕事であり、新人が独り立ちするまでの期間は指導者の生産性が低下する。にもかかわらず、指導の成果が処遇に反映されなければ、教育は「面倒な仕事」として敬遠される。

指導役に対する手当の設定、あるいは評価面談における明示的な言及は、金額の多寡以上に意味を持つ。兵庫県内の整形外科診療所では、新人1名につき指導担当を明確に定め、3か月後の到達度を院長が確認したうえで指導担当に対する評価を行う運用としたところ、新人の定着率が改善した。誰が育てたのかが可視化されない組織では、育成は誰の仕事にもならない。

・ 院長が関与すべき場面を絞る

日常の指導まで院長が担うことは現実的でない。しかし、育成において院長でなければ果たせない役割が2つある。

1つは、その業務が医療の質にどう結び付いているかを説明することである。保険証の資格確認を正確に行うことがなぜ重要なのか、算定の根拠をカルテに残すことがなぜ必要なのかを、診療の文脈で説明できるのは医師である。作業としてではなく、医療の一部として業務を理解した職員は、指示されていない場面でも適切に判断できるようになる。

もう1つは、定期的に時間を取って話を聞くことである。小児科の診療所では、予防接種のスケジュール管理を担当する職員が保護者からの問合せに単独で対応していたが、判断に迷う事例を相談する場がなく、負担を1人で抱えていた。院長が月1回、15分の面談の時間を設けたところ、相談件数が増え、結果として接種間隔に関する誤案内が減少した。面談の目的は評価ではなく、状況の把握である。

・ 採用の入口で何を伝えているか

育成の仕組みを整えたとしても、入職前の期待と入職後の現実が食い違えば早期離職を招く。求人票に記載されるのは、勤務時間、時給、休日といった条件面が中心で、実際にどのような業務をどの順序で担うのかが書かれていないことが多い。応募者は条件だけを見て応募し、入職後に業務の幅の広さを知って戸惑うことになる。

有効なのは、入職から半年程度の期間に何を習得してもらうかを求人の段階で示すことである。「受付と会計から始め、3か月で保険資格の確認まで、半年でレセプト点検の補助まで担っていただきます」という記述は、条件面での競争力に乏しい医療機関にとってむしろ差別化の材料となる。学ぶ内容が明示された職場は、成長を求める応募者にとって魅力となるからである。

見学の受入れも同様である。面接の場だけで職場の雰囲気を判断することはできない。実際の診療時間帯に短時間の見学を受け入れ、業務の流れと職員同士のやり取りを見てもらうことは、双方にとって入職後の齟齬を減らす手段となる。見学を経て辞退する応募者が出ることを損失と考える必要はない。入職後3か月で退職された場合の損失のほうが、はるかに大きい。

・ 定着を数値で把握する

人材に関する経営判断は、印象で行われることが多い。よく辞める、最近は落ち着いている、といった感覚的な把握にとどまり、数値として記録されていない。最低限、把握しておくべき数値は、年間の離職者数と在籍者数から算出する離職率、入職から退職までの平均勤続期間、そして直近1年の採用に要した費用の総額である。

これらを3年分並べると、傾向が見える。特に注目すべきは、入職から1年以内の離職が占める割合である。この比率が高い場合、問題は賃金水準ではなく受入れと教育の過程にある。逆に、勤続3年から5年の層の離職が続く場合は、その先のキャリアが見えないこと、あるいは処遇が経験に見合っていないことが原因である可能性が高い。原因の所在が異なれば、打つべき手も異なる。数値がなければ、この区別ができない。

・ 外部の学びを閉ざさない

医療事務の専門性は、自院の中だけでは高まりにくい。診療報酬の解釈、施設基準の要件、査定と返戻への対応といった知識は、他院の実務に触れることで理解が深まる部分が大きい。医師会や関連団体が開催する研修、診療報酬改定に関する説明会への参加を、業務として位置付け、費用を負担している診療所は多くない。

小児科の診療所で、事務職員を年に2回、外部の研修に派遣する運用を続けた例がある。研修後に院内で内容を共有する時間を15分設けることを条件とした。派遣された職員が説明する側に回ることで理解が定着し、他の職員にも知識が伝わる。費用は年間で数万円にとどまるが、職員の側からは「自分に投資してもらっている」という認識が生まれる。処遇に対する満足は金額だけで決まるものではない。

・ 医療事務という職務の位置付けを変える

医療事務は、診療報酬という複雑な体系を理解し、診療内容を正確に請求へ変換する専門職務である。請求の精度は資金繰りに直結し、施設基準の管理は算定の可否を左右する。この職務を単純作業と位置付けている限り、専門性を持った人材は集まらず、育っても他所へ移る。

職務の価値をどう定義するかは、雇用主である院長の判断に委ねられている。専門職として位置付け、育成の道筋を示し、到達に応じた処遇を用意する診療所には、時間はかかるが人が残る。地域の相場より高い時給を提示し続けることでしか人を確保できない診療所と、育成の仕組みによって人を確保する診療所とでは、5年後の人件費率にも組織の安定度にも差が生じる。採用が難しい時代に問われているのは、採用力ではなく育成力である。
 

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