Vol.1241 36兆5,803億円の要求書を経営情報として読む ― 令和9年度厚生労働省概算要求とクリニックの来年度

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Vol.1241 36兆5,803億円の要求書を経営情報として読む ― 令和9年度厚生労働省概算要求とクリニックの来年度

概算要求は「予告編」である

2026年8月末、厚生労働省は令和9年度予算の概算要求を財務省に提出し、その概要を公表した。一般会計の要求額は36兆5,803億円で、令和8年度当初予算に対して1兆5,370億円の増額である。このうち年金・医療等に係る経費が33兆6,872億円を占め、新たに設けられた「強く豊かな日本」投資枠として1兆337億円が計上されている。

数字だけを見れば、クリニックの経営とは縁遠い巨大な国家財政の話に映る。しかし概算要求は、翌年度に国がどこへ金を流そうとしているかを最も早い段階で示す文書であり、診療報酬改定の間の年においては、来年度の医療政策の方向を読む唯一に近い公式の資料である。年末の予算編成過程で要求額は削られ、事項要求として金額を示さず「予算編成過程において検討する」とされた項目の多くは形を変える。それでも、要求に盛り込まれた施策の方向性そのものが翌年に覆ることは稀である。概算要求は決定ではなく予告編であり、予告編を見て準備を始める者と本編が始まってから動く者では、補助金の申請、設備投資の時期、採用計画のいずれにおいても半年の差が生まれる。

本稿では、令和9年度概算要求のうち診療所経営に直接関わる項目を抽出し、経営管理の視点からどう読むべきかを整理する。

診療報酬の調整」という1行の意味

概算要求の資料には、注記として次の趣旨の記述がある。薬価改定等や、実際の経済・物価の動向が令和8年度診療報酬改定時の見通しから大きく変動し、医療機関等の経営状況に支障が生じた場合の診療報酬の調整については、予算編成過程において検討する、というものである。

この1行は、令和8年度改定で本体3.09%の引き上げを決めた際の前提、すなわち物価と賃金の上昇率に関する見通しが、実際には上振れる可能性を国自身が認めていることを意味する。診療報酬は原則として2年に1度の改定であり、改定の間の年に物価が想定を超えて上昇しても、単価は動かない。この構造的な弱点に対して、何らかの調整措置の余地を予算上残しておくという表明である。

経営者として読むべきは、ここに期待を置くことではなく、逆にこの1行が必要になるほど費用の上昇が政策側でも織り込まれているという事実である。2026年10月には最低賃金の改定が発効し、加重平均で1,176円という水準になる見込みである。医薬品や医療材料の価格、電気料金、委託費も上昇を続けている。収入単価が固定されたまま費用だけが上がる期間が、少なくとも次回改定まで続く。この間の経営を「調整措置」に依存せず自力で成立させる計画が、来年度予算の前提となる。

医療DXは「認証された製品」への集中投資に移る

概算要求の投資枠のうち、医療情報システムのクラウドネイティブ化とサイバーセキュリティ強化には2,561億円が計上された。令和8年度当初予算では14億円であった項目である。内訳として、標準仕様に準拠したクラウドネイティブ型電子カルテの認証制度の創設と認証製品の普及支援に約604億円、医療機関における外部接続点の点検・適正化に約132億円が示されている。

ここで注目すべきは金額の規模よりも「認証制度」という言葉である。国は電子カルテの普及率を2030年に100%とする方針を掲げており、その手段として、補助の対象を国が認証した製品に限定する方向を明確にした。つまり、来年度以降に電子カルテを導入または更新するクリニックにとって、製品選定の基準に「認証を受けているか、受ける見込みがあるか」が加わる。現在のベンダーが認証を取得する計画を持っているか、既存のオンプレミス型からの移行にどの程度の費用と期間を要するかを、今のうちに確認しておく必要がある。

外部接続点の点検に予算が付いたことも見逃せない。オンライン資格確認、電子処方箋、電子カルテ情報共有サービスと、診療所のネットワークが外部と接続する箇所は増え続けている。点検の対象は病院が中心となるであろうが、診療所においても接続点の棚卸しと保守契約の範囲確認は、自院で行える最低限の対応である。

「攻めの予防医療」が外来に求めるもの

攻めの予防医療と疾病対策等の項目には509億円が要求され、令和8年度の302億円から大きく増額された。その中身は、特定健診の受診率を令和11年度までに70%、がん検診の受診率を令和10年度までに60%とする目標のもとで、未受診者の原因究明と個人の就業状況に応じた受診勧奨を強化するというものである。あわせて、いわゆる国民皆歯科健診の制度化、更年期世代の女性を診療する一般診療医向けガイダンスの作成と対応医療機関の検索可能化、切れ目のないリハビリテーションの提供などが挙げられている。

これらは一見すると保険者や自治体の事業であり、診療所は受け身の立場に見える。しかし、受診勧奨が強化されれば、健診で異常を指摘された患者が外来に流入する。その受け皿として、健診結果を持参した患者に対する初回の説明、検査計画、生活習慣病管理料へ移行する場合の療養計画書の作成という続きの工程が、来年度は量的に増える可能性がある。

呼吸器内科を専門とするあるクリニックでは、健診の胸部所見や喫煙歴を契機とした受診が年間の新患の3割を占めている。院長は、健診の異常を指摘されて来院した患者に対する初診の流れを定型化し、問診票に健診結果の転記欄を設け、精査の要否を初診時に判断できる体制を整えた。受診勧奨が強化される来年度に向けて、この定型化が新患の対応時間を短縮し、慢性疾患管理への移行率を高める土台となる。

更年期に関するガイダンスは、婦人科ではなく一般診療医向けに作成される点に意味がある。循環器内科や皮フ科の外来には、更年期に関連する動悸、不眠、皮膚症状を主訴とする40歳代から50歳代の女性患者が少なからず存在する。国が「対応医療機関を検索可能とする」方向を示している以上、この領域を診療の範囲に含めるかどうかは、来年度の診療設計における選択肢の1つとなる。

人材と賃上げに関する予算はクリニックも対象である

賃上げ環境整備の項目では、業務改善助成金等の「賃上げ」支援助成金パッケージに2,016億円が要求された。令和8年度の1,250億円から6割を超える増額である。業務改善助成金は、事業場内の最低賃金を引き上げる際に、生産性向上に資する設備投資等の費用を助成する制度であり、医療機関も中小企業の枠内で対象となる。

整形外科のあるクリニックでは、2026年10月の最低賃金改定を機に、受付と会計を担う職員の時給を引き上げるとともに、自動精算機と予約システムの連携を導入した。この設備投資に業務改善助成金を活用し、助成対象となる要件を満たすために賃金引き上げの時期と設備の納入時期を調整した。来年度の予算で助成金の枠が拡大されるならば、同様の投資を検討しているクリニックは、公募の時期と要件を早い段階で把握しておくべきである。

人材育成の項目では、医療・介護・福祉分野の担い手の養成・確保のためのプラットフォームを都道府県に構築する施策が示された。学生への職場体験やマッチング支援が含まれており、診療所が単独では行いにくい採用広報を、都道府県の枠組みに乗せる余地が生まれる。

小児・周産期と地域医療の項目をどう読むか

救急・災害医療提供体制等の確保、小児・周産期医療提供体制の充実には255億円が要求され、令和8年度の130億円からほぼ倍増した。出生数の減少を踏まえ、地域に不可欠な小児医療の拠点となる施設に対する体制整備を支援するという内容である。

小児科の開業医にとって、この項目は複雑な意味を持つ。予算の直接の対象は拠点病院であるが、拠点病院の小児救急体制が強化されれば、夜間・休日の初期対応をどこが担うかという地域の役割分担が改めて問われる。小児科のあるクリニックの院長は、地域の小児救急輪番に参加する条件として、拠点病院との連絡体制と受け入れ基準を文書化することを求めてきた。国の予算が拠点側に流れる来年度は、診療所側が輪番や初期救急にどう関与するかを、協議の場で主張する好機でもある。

医師偏在対策の推進も引き続き掲げられている。外来医師過多区域の事前届出制が2026年4月から始まった経緯を踏まえれば、来年度も過多区域における新規開業の抑制と、不足区域における開業・承継支援という2つの方向が並行して進む。分院展開や移転を視野に入れているクリニックは、来年度の支援区域の指定と支援内容を注視する必要がある。

概算要求を自院の年間計画に翻訳する

概算要求を読む目的は、国の政策を批評することではなく、自院の来年度計画の前提条件を確定することにある。整理すれば次のようになる。収入単価は次回改定まで動かず、費用の上昇は政策側でも織り込まれている。電子カルテは認証製品への集中投資に移る。健診と受診勧奨の強化により、生活習慣病領域の新患は増える方向にある。賃上げと設備投資を組み合わせる助成の枠は拡大する。小児・周産期と医師偏在の施策は、地域の役割分担を再び動かす。

これらは12月の予算案決定で金額が確定し、来年4月以降に公募や通知として具体化する。その時点で初めて情報収集を始めるのではなく、9月のいま概要を把握し、自院に関係する項目について、12月と4月に何を確認するかを決めておく。この半年の先行が、補助金の申請期限に間に合うかどうか、設備投資の見積もりを複数取れるかどうか、採用の広報を県の事業に乗せられるかどうかを分ける。

概算要求は、読む者にとっては来年度の経営環境を記した最も早い公文書である。36兆円という数字の中から、自院に関わる数行を見つけ出す作業を、今週のうちに済ませておきたい。

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