Vol.1250 院長がいなくても診療所は動くか ― 院長依存度の可視化と事業承継の障害

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Vol.1250 院長がいなくても診療所は動くか ― 院長依存度の可視化と事業承継の障害

診療所の後継者不在率は約9割

帝国データバンクの調査によれば、全国の診療所経営者のうち70歳以上が56.7%を占め、無床診療所の後継者不在率は約9割に達する。2025年の医療機関の休廃業・解散は823件、倒産は66件でいずれも過去最多となり、2026年上半期の倒産は39件と上半期として過去最多を更新した。休廃業・解散の増加を支える最大の要因は、診療所経営者の高齢化と後継者不在である。

これらの数字は、事業承継が一部の院長の問題ではなく、診療所という業態の構造的な問題であることを示している。そして事業承継が成立しない理由として、後継者候補となる医師の側から最も多く挙げられるのが、「その診療所は院長がいなければ成り立たない」という懸念である。患者は院長を慕って通い、職員は院長の指示で動き、地域の連携先は院長個人との関係で紹介を出している。院長が変われば、患者も職員も連携先も離れるのではないか。この懸念がある限り、承継の対価としての営業権の評価は下がり、承継は成立しにくくなる。

院長への依存度を減らすことは、人手不足時代に診療所を持続させる運営体制の問題であると同時に、事業承継の障害を取り除く準備でもある。この2つは同じ設計から導かれる。

院長依存の4つの領域

院長依存は4つの領域に分けて把握できる。第1は診療そのものへの依存であり、院長にしかできない検査や手技があるか、院長が不在の日に診療が成立するかという問いである。第2は意思決定への依存であり、職員の勤務調整、物品の購入、業者との契約、苦情への対応といった日常の判断のうち、どれだけが院長に集中しているかである。第3は患者関係への依存であり、患者が「この診療所」ではなく「この先生」に通っている度合いである。第4は対外関係への依存であり、病院の連携室、近隣の他科、薬局、行政との関係が院長個人に紐づいている度合いである。

この4つを1つずつ点検すると、多くの診療所で、院長が自覚している以上に依存が深いことが分かる。そして4つのすべてにおいて、依存を減らす方法は同じである。院長が担っているものを可視化し、他の誰かが担えるように基準を示し、実際に担わせ、院長は結果を確認する側に回る。

診療への依存 ― 消化器内科の代診体制

消化器内科のある診療所では、上部・下部内視鏡検査を院長のみが行っていた。院長が学会や体調不良で不在の日は内視鏡検査が止まり、予約患者は延期を余儀なくされた。承継を意識し始めた院長は、週1日、非常勤の内視鏡医を招き、その医師が検査を行う日を設けた。当初、患者の中には院長による検査を希望する声があったが、非常勤医の技術と説明の丁寧さが認知されるにつれ、その声は減った。この体制は、院長不在時の代診として機能するだけでなく、承継の際に「院長以外の医師が検査を行っても患者が離れない」という実績を示す材料になった。

代診体制の設計において重要なのは、代診医に診療所の運用を委ねられるだけの情報を整えておくことである。患者ごとの注意事項、検査の予約と前処置の手順、結果説明の方針。これらが院長の頭の中にしかなければ、代診医は診療所の機能を十分に果たせない。診療への依存を減らすことは、診療所の情報を院長の外に出す作業でもある。

呼吸器内科のある診療所では、代診体制の整備を、院長自身の健康管理の一環として位置づけている。院長が体調を崩したとき、診療所を休診にするか、代診で継続するかの選択肢を持つことは、院長が無理を重ねて診療を続けるという最も危険な状態を避ける手段である。代診に対応できる非常勤医と、代診医が参照できる患者情報の整備は、承継のためであると同時に、院長が休むための基盤でもある。

意思決定への依存 ― 整形外科の権限委譲

整形外科のある診療所は、職員20名を超える規模でありながら、勤務表の調整から物品の発注、患者からの苦情への対応まで、あらゆる判断が院長に集中していた。院長は診療の合間に判断を求められ、職員は院長の手が空くのを待ち、業務が滞った。院長は事務長を置き、判断の基準を文書化した上で、一定の金額以下の購入、勤務表の調整、苦情の一次対応を事務長に委ねた。院長は週1回、事務長から報告を受けて確認する立場に回った。

権限委譲において院長が最も抵抗を感じるのは、自分の判断と異なる判断が行われることへの不安である。しかし基準を示した上で委ねた判断が自分と異なることは、基準が不十分であったか、あるいは自分の判断が唯一の正解ではなかったかのいずれかであり、どちらも診療所の改善に資する情報である。意思決定への依存を減らすことは、院長の負担を減らすだけでなく、承継後の新院長が日常の判断に忙殺されることなく診療所を引き継げる体制を整えることでもある。

患者関係と対外関係への依存 ― 小児科と耳鼻咽喉科

小児科の診療所は、患者との関係が院長個人に強く結びつきやすい。乳児期から通い続けた家族にとって、院長は「うちの子の先生」である。ある小児科は、看護師が予防接種のスケジュール管理と発達の相談に継続的に関わる体制をつくり、患者家族が院長だけでなく看護師とも関係を持つように設計した。診療所全体で家族を支えているという認識が広がるにつれ、院長が不在の日にも家族は安心して来院するようになった。患者関係を診療所という組織に帰属させることは、承継後も患者が定着する基盤となる。

日帰り手術を行う耳鼻咽喉科では、病院の連携室や近隣の他科との関係が対外関係の中心になる。ある耳鼻咽喉科では、紹介と逆紹介の窓口を事務職員が担い、連携先との定期的な連絡や会合への出席も事務職員が院長に同行する形で行ってきた。院長個人ではなく診療所として連携先との関係を持つことで、承継の際に連携先との関係が途切れる懸念は小さくなる。

院長依存度を数字にする

院長依存度は、感覚ではなく数字で把握することができる。診療への依存は、院長不在時に提供できる診療の割合で測れる。意思決定への依存は、1週間に院長が求められる判断の件数を記録すれば分かる。患者関係への依存は、代診日の患者数が通常日の何割であるかで測れる。対外関係への依存は、連携先からの連絡が院長個人宛てである割合で把握できる。これらの数字を年に1度確認し、依存度の高い領域から順に手を打つことが、承継の準備の具体的な進め方である。

皮フ科・形成外科のある診療所では、代診日の患者数が通常日の4割にとどまっていた。院長は、自院の患者が院長個人に強く紐づいていることをこの数字から認識し、看護師による処置の説明と経過確認の役割を拡充した。1年後、代診日の患者数は通常日の7割まで回復した。この数字は、承継の際に後継者候補に示すことのできる、最も説得力のある材料である。

承継の形態と院長依存の関係

承継の形態は、親族への承継、勤務医への承継、第三者への譲渡の3つに大別されるが、いずれの形態でも院長依存度は承継の成否と対価に直結する。親族への承継であっても、患者と職員が先代の院長にのみ帰属していれば、後継者は一から関係を築き直さなければならない。第三者への譲渡では、院長依存度の高い診療所の営業権は、承継後の患者離れを見込んで低く評価される。逆に、院長がいなくても動く構造を持つ診療所は、その構造そのものが評価の対象となる。

医療法人化の是非は別の機会に扱うべき論点であるが、承継の観点からは、個人の診療所と医療法人とで承継の手続きと税務の扱いが大きく異なることは指摘しておく。ただし法人化は承継を容易にする手段の1つに過ぎず、法人であっても院長依存度が高ければ承継は成立しない。形式の選択の前に、構造の整備が先である。

承継の準備は、経営の改善そのものである

院長への依存を減らす作業は、承継のためだけに行うものではない。代診体制があれば院長は休める。権限委譲があれば院長は診療に集中できる。患者と連携先の関係が組織に帰属していれば、院長が体調を崩しても診療所は持続する。院長依存を減らすことは、院長自身と診療所を守る経営の改善であり、その延長線上に承継が成立する。

承継を考えるのが70歳を過ぎてからでは遅い。後継者候補が診療所を評価するとき、見ているのは患者数や設備ではなく、院長がいなくても動く構造があるかどうかである。その構造を、承継の10年前から少しずつつくること。それが、人手不足時代にも承継の時代にも持続する診療所モデルの、最後の条件である。

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