Clinic Diary
クリニック奮闘記
Clinic Diary
クリニック奮闘記
医療事務は無資格・未経験から始められる職種として求職者の関心を集めやすい一方で、有効求人倍率は2倍前後の水準にあり、多くのクリニックが採用に苦労している。厚生労働省の第25回医療経済実態調査によれば、診療所に勤務する常勤の医療事務職員の平均年収は約334万円とされる。最低賃金の引き上げが続くなかで、クリニックが賃金水準だけで他業種や病院と競い合うことには限界がある。
賃金で差をつけにくい以上、クリニックが採用市場で訴求できるのは賃金以外の価値である。その中心に置くべきものが、職員を育てる仕組みである。求職者、とりわけ未経験の求職者が最も不安に感じるのは、「入職後に放置されるのではないか」「何も分からないまま責任を負わされるのではないか」という点である。この不安に具体的に応えられるクリニックは、同じ賃金条件であっても選ばれる可能性が高まる。
多くの求人票には「未経験歓迎」「研修制度あり」「丁寧に指導します」といった文言が並ぶ。しかし、どのクリニックも同じ表現を用いている以上、これらの文言は差別化にならない。求職者が知りたいのは、入職後に何を、どの順序で、どの期間で学ぶのかという具体的な内容である。
Vol.1252で述べたレセプト業務を通じた段階的なOJTは、この具体性を示すうえで有利である。その段階設計は実際の業務の構造そのものであり、抽象的な理念ではなく事実として説明できるからである。入職後3か月で保険と公費の確認および共通欄の点検を独力で行えるようになり、6か月で基本診療料と医学管理料の点検を担当し、1年で検査・処置と病名の整合性を確認できるようになる、という形で示せば、求職者は自分が入職後にどう成長するかを具体的に思い描くことができる。
求人票には、職務内容を業務の段階として記載し、各段階に到達したときに処遇がどう変わるのかを併せて示すことが望ましい。2024年4月からは、募集時に明示すべき労働条件として、就業場所と業務の変更の範囲が加えられている。業務の範囲が段階的に広がることを前提とした職場であれば、その旨を率直に記載することが、入職後の認識の食い違いを防ぐことにもつながる。
面接や職場見学では、実際の点検の流れや月次の読み合わせの様子を説明することができる。現に働いている職員が、どの段階からどの段階へ進んだのかを自らの言葉で語れば、それは誇張のない採用広報となる。教育の仕組みを外部に示すことは、同時に、その仕組みを院内で実際に運用し続けることの約束にもなる。示した内容と入職後の実態が異なれば早期離職を招くため、書けることだけを書くという規律が求められる。
育成の仕組みは、未経験者だけでなく経験者の採用にも効果を持つ。医療事務の経験者のなかには、前職で入力作業しか任されず、算定の判断や返戻・査定の分析に関わる機会がなかったことを転職の理由とする人が少なくない。レセプトの点検と分析を段階的に任せ、その成果を評価に反映する職場であることは、専門性を高めたい経験者にとって魅力となる。
皮フ科・形成外科のあるクリニックでは、小手術と病理検査を含むレセプトの点検、返戻の原因分析までを担う段階を明示して求人を行ったところ、他院で数年の経験を持つ応募者が複数集まった。応募者の多くが、前職では算定の判断に関わる機会がなかったことを志望理由に挙げたという。専門性を伸ばせる場であることが、経験者の採用において賃金と並ぶ訴求力を持った例である。
経験者を採用する際には、前職での経験がどの段階に相当するかを確認し、段階の途中から育成を始めることができる。経験者であっても、診療科や地域が変われば算定の内容や審査の傾向は異なる。自院の段階設計に沿って確認を進めれば、経験者の知識のうち自院で通用する部分と補うべき部分が明らかになり、経験者自身も新しい職場での役割を早く把握できる。段階設計は、未経験者の教育課程であると同時に、経験者の能力を評価する物差しにもなる。
教育の仕組みがもたらす効果は、採用市場にとどまらない。Vol.1254で述べたように、レセプトを理解した職員は会計窓口で費用の意味を説明できる。受付や会計での対応の質は、患者の口コミやレビューに直接表れる。医療の内容を評価することが難しい患者にとって、受付や会計での対応は、クリニックを評価する数少ない手がかりの1つである。
呼吸器内科のあるクリニックでは、吸入薬や在宅療養に関わる費用の説明を職員が的確に行えるようになったことで、レビューに受付の説明の分かりやすさを評価する記載が増えた。消化器内科では、内視鏡検査の費用の目安や、病理結果の説明を受ける際の費用を事前に伝えるようにしたことで、検査を受ける患者の不安が軽減された。これらは広告として発信したものではなく、職員の能力が患者の体験を通じて自然に伝わった結果である。集患の施策を別に講じなくとも、育成の成果は地域での評価として蓄積されていく。
採用に成功しても、入職後の最初の3か月で示した内容が実行されなければ、職員は早期に離職する。求人で段階的な育成を示したのであれば、入職初日に第1段階の担当範囲と到達目標、指導担当者、確認の方法を本人に伝え、1か月ごとに進捗を確認する面談を短時間でも設けることが望ましい。レセプトの点検は毎月の業務であるから、月初の点検が終わった時点を確認の区切りとすれば、別に時間を設けなくても定期的な振り返りが成立する。入職後の経験が求人で示した内容と一致していることを職員が実感できれば、その職員は次の採用において最も信頼できる語り手となる。
開業準備中の医師にとっては、開院時の求人が最初の採用広報となる。開院時点では職員の声を示すことはできないが、開院前後の教育の進め方と、開院後1年間の段階設計を具体的に示すことはできる。新規開業のクリニックは、既存の人間関係がないことを魅力と感じる求職者も多く、育成の仕組みを明確に示せば、経験者と未経験者の双方から応募を集めやすい。
育成の仕組みを外部に示すことは、医療事務という職種そのものの位置づけを変えることにもつながる。医療事務が「誰にでもできる入力作業」と見なされている限り、その職種に意欲のある人材は集まりにくく、処遇も改善されにくい。レセプトを通じて診療報酬の制度と自院の医療を理解し、患者に説明し、院長に確認や助言ができる職員は、医療機関の経営を支える専門職である。
処遇との接続も欠かせない。段階の到達に応じて手当や昇給の基準を定めておけば、職員は自分の成長が処遇に反映されることを確認できる。Vol.1243で述べた透明な評価と組み合わせれば、育成、評価、処遇が1つの仕組みとして機能する。求人票に示した段階設計と処遇の関係が実際に守られていることこそが、採用広報の信頼性を支える。
院長がそのように職員を位置づけ、育成の段階と処遇を結びつけ、その事実を求人や地域に向けて発信することは、1つのクリニックの採用戦略にとどまらず、医療事務という仕事の社会的な評価を高めることにもつながる。
職員の能力は、患者だけでなく地域の医療機関との関係にも表れる。紹介状の受け取りや返書の管理、検査予約の調整、診療情報提供書の算定といった連携業務の多くは、事務職員が担っている。Vol.1242で紹介と逆紹介を扱ったが、連携先から見て扱いやすいクリニックであるかどうかは、事務職員の対応の正確さと速さに大きく左右される。算定の仕組みを理解している職員は、診療情報提供料の要件や返書の必要性を理解したうえで連携業務を進めることができる。育成の成果は、病院の地域連携室という、もう1つの重要な評価者にも伝わるのである。
本特集では、人的資本管理という観点から、クリニックのスタッフ教育を検討してきた。Vol.1251では人件費を資本として捉える考え方を、Vol.1252ではレセプト業務をOJTとして設計する方法を、Vol.1253ではその時間効率と費用対効果を、Vol.1254では患者への説明力としての効果を、本稿では採用と地域での評価への効果を論じた。
5本に共通する主張は、レセプトは請求のための書類であると同時に職員を育てる教材であり、クリニックの医療を院長と職員が共有するための共通言語でもあるという点である。研修の時間を別に設けなくても、毎月の業務を教育の場として設計すれば、職員は確実に育つ。そして育った職員は、請求の精度、患者の納得、採用の力として、クリニックの経営に還元される。人を育てる仕組みを持つことは、人手不足の時代におけるクリニックの最も確かな競争力である。