2026.06.09
クリニック奮闘記
Vol.1178 医療DXの本格始動と「電子的診療情報連携体制整備加算」 ―耳鼻咽喉科・皮膚科クリニックが直面するマイナ保険証30%の壁―
2026年6月、診療報酬改定に基づく医療DX関連の新制度が本格的に始動した。従来の「医療情報取得加算」および「医療DX推進体制整備加算」が廃止され、新たに「電子的診療情報連携体制整備加算」が新設されたのである。本稿では、外来患者の回転が速く一日あたりの来院数が多い耳鼻咽喉科と皮膚科を題材に、この新加算が突きつける課題を論じたい。
新設された加算は、初診時の評価として複数の区分が設定されている。最も高い加算1は15点で、電子処方箋の発行体制および電子カルテ情報共有サービスの活用実績があり、マイナ保険証利用やWebサイトでの公表等のDX体制が整っていることが要件となる。加算2は9点で、電子処方箋の発行体制または導入予定があり、同様のDX体制が整っていることが求められる。注目すべきは、各区分に共通してマイナ保険証の利用率基準(一定割合以上)が課されている点である。すなわち、いくら高額なシステムを導入していても、マイナ保険証の利用実績が基準に達しなければ加算は得られない。
ここで耳鼻咽喉科の現場を考えてみたい。花粉症のシーズンや小児の急性中耳炎が流行する時期には、一日に百名を超える患者が来院することも珍しくない。受付業務は常に逼迫し、患者の待ち時間も長くなりがちである。こうした環境でマイナ保険証の利用を患者に促すことは、現実には容易ではない。ある耳鼻咽喉科クリニックでは、改定を機に受付の動線を見直し、マイナ保険証の読み取り端末を患者が自ら操作しやすい位置に配置するとともに、待合での案内表示を工夫した。当初は高齢患者を中心に戸惑いも見られたが、数か月かけて利用率は着実に向上したという。重要なのは、利用率の向上が単なる事務的な目標ではなく、加算という形で診療報酬に直結している点である。
この耳鼻咽喉科の取り組みで見逃せないのは、利用率向上の鍵を握ったのが受付スタッフの対応力であったという点である。マイナ保険証の操作に不慣れな患者に対して、急かすことなく、しかし円滑に案内するには、相応のコミュニケーション能力と業務習熟が求められる。同院では、スタッフ向けに端末操作の手順と患者への声かけの仕方を整理し、繁忙期に入る前に習熟を図った。結果として、利用率という数値目標が、医療事務スタッフの業務の質を高める契機ともなったのである。診療報酬上の要件が、現場スタッフの育成へとつながった好例といえる。
皮膚科においても事情は似ている。アトピー性皮膚炎や慢性蕁麻疹の継続患者、季節性の湿疹や虫刺されの一見患者が混在し、診療のテンポは速い。電子処方箋の活用は、皮膚科で頻用される外用薬の処方履歴を医療機関間で共有するうえで意義が大きい。複数の医療機関を受診する患者において、重複処方や相互作用のリスクを把握できるからである。ある皮膚科クリニックでは、電子処方箋の発行体制を整え、近隣の調剤薬局と連携を深めた結果、処方内容に関する問い合わせが減少し、診療の効率が改善したという副次的な効果も得られた。
皮膚科の診療では、ステロイド外用薬の強さの使い分けや、保湿剤との併用、内服抗ヒスタミン薬の選択など、処方が多岐にわたる。患者が複数の医療機関を渡り歩く、いわゆるドクターショッピングの傾向も他科に比べて見られやすく、同種同効薬の重複処方が生じやすい構造がある。電子処方箋と電子カルテ情報共有サービスを通じて他院の処方を把握できることは、こうした重複を避け、患者の安全を高めるとともに、医療費の適正化にも資する。前述の皮膚科クリニックの事例は、医療DXへの対応が単なる加算取得のためのコストではなく、診療の質と効率を同時に高める投資となり得ることを示している。
しかし、ここで冷静に見極めるべきは投資対効果である。電子カルテ情報共有サービスへの対応やシステムの更新には相応の費用がかかる。耳鼻咽喉科や皮膚科のように一件あたりの診療報酬が比較的低く、患者数で収益を確保する診療科では、システム投資が加算による増収で回収できるかを慎重に試算する必要がある。加算1と加算2では点数差が大きいため、自院がどの区分を狙うべきか、現実的なマイナ保険証利用率の見通しを踏まえて判断しなければならない。
さらに見落とせないのが、サイバーセキュリティ対策の要件化である。今回の改定では、電子データの共有促進と並行して、セキュリティ対策の徹底が要件に組み込まれた。患者の医療情報を扱う以上、情報漏洩は経営の根幹を揺るがしかねない。中小規模のクリニックにおいても、システムの脆弱性対策や職員のセキュリティ教育は避けて通れない課題となっている。近年、医療機関を標的としたランサムウェアの被害が国内でも相次いで報じられており、規模の大小を問わず、電子カルテが停止すれば診療そのものが立ち行かなくなる。耳鼻咽喉科や皮膚科のように一日の患者数が多い診療科では、システムの停止が即座に長大な待ち時間と患者の不満につながるため、事業継続の観点からもセキュリティへの投資は経営判断として位置づけられるべきである。
加えて、医療DXへの対応を単なる加算取得の手段として捉えるのではなく、診療の質を高める基盤として活用する視点も重要である。電子カルテ情報共有サービスを通じて、患者が他院でどのような診断を受け、どのような薬剤を処方されているかを把握できれば、耳鼻咽喉科であれば抗菌薬の適正使用に、皮膚科であればステロイド外用薬の重複処方の回避に役立つ。前述の皮膚科クリニックが処方の問い合わせ減少という効果を得たのは、まさにこの情報共有の恩恵にほかならない。医療DXは、要件を満たして加算を得るという受動的な側面と、診療の質と効率を高めるという能動的な側面の双方を併せ持つ。後者の視点を持つクリニックほど、システム投資を前向きな経営戦略として位置づけることができる。
医療DXの本格始動が突きつけているのは、デジタル化が単なる効率化の手段ではなく、診療報酬の算定要件そのものに組み込まれたという現実である。マイナ保険証の利用率という、医療機関が直接コントロールしにくい指標が加算の前提となったことで、患者への働きかけ、受付業務の設計、システム投資の判断が一体的な経営課題となった。
耳鼻咽喉科や皮膚科のように患者数の多い診療科にとって、この変化は二つの側面を持つ。多くの患者を診るがゆえに利用率向上のハードルは高い一方で、要件を満たせば算定機会も多いため増収効果も大きい。自院の患者層、立地、システム環境を冷静に分析し、現実的な目標を設定したうえで体制を整えること。それが、医療DX時代における外来中心クリニックの経営判断の核心となるであろう。
