Vol.1212 患者からの迷惑行為に法的対応が義務づけられる日 ―2026年10月1日、カスハラ対策義務化とクリニックの実務―

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Vol.1212 患者からの迷惑行為に法的対応が義務づけられる日 ―2026年10月1日、カスハラ対策義務化とクリニックの実務―

2026年10月1日、改正労働施策総合推進法が施行され、カスタマーハラスメント対策が事業主の法的義務となる。2025年6月11日に公布された同法に基づき、厚生労働省は2026年2月26日に指針(令和8年厚生労働省告示第51号)を告示した。義務の対象は労働者を1人でも雇用するすべての事業主であり、中小企業や個人事業主に対する経過措置は設けられていない。すなわち、常勤・非常勤を合わせて数名という規模の診療所であっても、10月1日から例外なく対象となる。

この改正が医療機関に与える影響は、一般の事業所とは比較にならないほど大きい。窓口で対面する相手が「顧客」であると同時に「患者」であり、その言動が疾患に由来する場合もあれば、生命に関わる不安の表出である場合もあるからである。しかも医師には応召義務があり、単純に「お客様お断り」で処理することができない。他業種であれば通用する対応マニュアルが、そのままでは機能しない領域なのである。

 指針が示すカスタマーハラスメントの定義

告示された指針は、カスタマーハラスメントを3つの要素で定義している。すなわち、顧客等の言動であること、その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものであること、そしてそれによって労働者の就業環境が害されるものであること、である。この3要素をすべて満たす場合に該当し、いずれかを欠けば該当しない。

重要なのは、指針が同時に「該当しないもの」を明示している点である。消費者としての正当な権利行使や、障害者差別解消法に基づく合理的配慮の申出、差別的取扱いの是正を求める行為は、カスタマーハラスメントには当たらない。医療機関の文脈に置き換えれば、車椅子利用者が動線の改善を求めること、聴覚障害のある患者が筆談や手話通訳の配慮を求めること、これらは正当な申出であって、決してハラスメントとして扱ってはならない。この線引きを職員が誤ると、法令遵守のつもりが差別的対応に転化しかねない。院長が率先して理解し、職員に伝えるべき最重要事項である。

事業主が講ずべき措置は指針において10項目が定められている。方針の明確化と周知啓発、相談体制の整備、事後の迅速かつ適切な対応、再発防止に向けた抑止措置という4つの柱に整理され、あわせて相談者のプライバシー保護と、相談したことを理由とする不利益取扱いの禁止が求められる。違反した場合、パワーハラスメント防止措置と同等の法構造のもとで行政指導や勧告の対象となる。

 医療機関に固有の3つの難所

第1の難所は、応召義務との関係である。医師法第19条に基づく応召義務については、2019年12月の厚生労働省通知により、診療しないことが正当化される事例の考え方が整理されている。患者の迷惑行為、すなわち診療や治療に関係のないクレームを繰り返し続けるなど、信頼関係が喪失していると認められる場合には、新たな診療を行わないことが正当化されうるとされている。逆に言えば、応召義務は無制限の受忍義務ではない。この整理を院長自身が正確に理解していなければ、職員に対して「我慢して対応せよ」という誤ったメッセージを送ることになる。

第2の難所は、疾患に由来する言動の扱いである。認知症の周辺症状として攻撃的な発言が現れる場合、せん妄状態にある場合、精神疾患の症状として過剰な要求が生じる場合がある。これらは医学的管理の対象であって、懲罰的な対応の対象ではない。ただし、職員の就業環境が害されているという事実は同じであるから、対応の方法は変えつつも、職員の保護は同等に図らなければならない。具体的には、単独で対応させない、対応時間の上限を決めておく、対応後に必ず院長が状況を聴取する、といった運用上の防護が必要になる。

第3の難所は、記録の困難さである。診療の場では録音や録画に対する抵抗感が強く、また診察室内の会話には機微な医療情報が含まれる。しかし記録がなければ、いわゆる「言った言わない」の争いにおいて職員を守ることができない。現実的には、受付・待合という公共性の高い空間に限定して録音や防犯カメラを設置し、その旨を掲示するという運用が採られることが多い。掲示による事前告知は個人情報保護法上の透明性確保にも資するうえ、掲示があること自体が抑止として機能する。

 診療科ごとに現れる典型的な場面

耳鼻咽喉科では、感染症流行期の待ち時間をめぐる苛立ちが典型である。3時間待って診察は5分か、という言葉は多くの院長が耳にしたことがあろう。単発の不満表明は正当な意見であり、ハラスメントではない。しかし、同一の患者が受付職員に対して繰り返し長時間にわたり詰問し、名前を名指しして威圧するに至れば、社会通念上許容される範囲を超えたと評価される可能性が高い。境界線は、内容ではなく態様と反復性にある。

皮膚科では、特定の外用薬の処方を強く求められる場面が増えている。保湿剤を化粧品代わりに大量に希望する、あるいは家族分をまとめて処方するよう求めるといった要求は従来からあったが、後述する薬剤給付の見直し議論が進むなかで、要求が先鋭化する可能性がある。医学的必要性に基づかない処方を拒否したことに対し、受付や看護師へ執拗に抗議が向かうという構図は、院長が想定しておくべきリスクである。形成外科領域を併設している場合、保険診療と自由診療の境界に関する説明不足が紛争の火種となりやすい。

整形外科では、診断書や後遺障害に関する記載をめぐる要求が問題化する。交通事故や労災の案件では、患者本人だけでなく背後にいる関係者からの働きかけが生じることもある。医学的所見と異なる記載を求められた際、その圧力を医療事務職員が最前線で受け止める構造になっている点が危険である。診断書の記載内容に関する交渉は、必ず医師が対応するという原則を明文化すべきである。

小児科では、保護者の不安が強い言動として表出しやすい。夜間や休日に院長個人の携帯電話へ繰り返し連絡が入る、SNS上に事実と異なる書き込みがなされるといった事例が報告されている。指針は職場外や勤務時間外の言動も就業環境を害するものであれば対象となりうる立場を採っており、連絡手段の一元化と、時間外対応の窓口の明示は、法令対応であると同時に職員保護そのものである。令和8年度改定で時間外対応加算が時間外対応体制加算へと名称変更され点数も引き上げられたことは、体制を整備することへの評価が高まっていることを示している。

内科、とりわけ消化器内科では、内視鏡検査の予約変更やキャンセル料をめぐる摩擦が生じやすい。前処置を伴う検査は枠の再調整が難しく、直前キャンセルの機会損失が大きい。規約を整備していない状態で個別交渉に持ち込まれると、対応した職員が矢面に立つことになる。

10月までに準備すべきこと

まず、カスタマーハラスメントに関する方針を明文化し、就業規則へ規定を追加する。あわせて、患者向けの掲示として、当院は職員に対する暴言・暴力・不当な要求には毅然と対応する旨を示す。この掲示は、患者を敵視するものではなく、良質な医療を継続的に提供するための環境保全であるという文脈で表現することが望ましい。

次に、相談窓口を設置する。職員数名のクリニックで独立した窓口を設けることは現実的でないため、院長または事務長を一次窓口としつつ、院長自身が当事者となる可能性を考慮して外部の社会保険労務士等を二次窓口として指定しておく形が実務的である。

そして、対応手順を具体化する。どの段階で対応者を交代するか、どの段階で院長を呼ぶか、どの段階で警察へ通報するかという判断基準を、あらかじめ文書化しておく。現場の職員が咄嗟に判断できる粒度でなければ意味がない。加えて、対応後の記録様式を定め、発生日時、当事者、経緯、対応内容を残す運用を定着させる。この記録は、将来の診療拒否の正当性を裏づける証拠にもなる。

最後に、費用対効果の観点を付け加えておきたい。ハラスメント対応の体制整備には、就業規則の改定費用、録音機器や防犯カメラの設置費用、研修の時間といったコストが発生する。数十万円規模の支出になることもあろう。しかしこれを離職コストと比較すれば、判断は明快である。医療事務職員1名が離職した場合、求人広告費、面接に要する院長と事務長の時間、採用後3か月から6か月の教育期間中の生産性の低下を積み上げれば、給与のおよそ半年分から1年分に相当する損失が生じるとされる。年収300万円の職員であれば150万円から300万円である。しかも、レセプト業務を担える経験者は労働市場において慢性的に不足しており、失った戦力を同等の水準で補充できる保証はない。窓口対応の疲弊を理由とする離職を1件でも防げるのであれば、体制整備の費用は十分に回収される。

なお、東京都のカスタマー・ハラスメント防止対策推進奨励金のように、自治体が独自の支援制度を設けている例がある。所在地の自治体において同種の制度が利用可能かを確認しておくとよい。また、東京都、北海道、群馬県などでは既にカスタマーハラスメントに関する条例が施行されており、条例と法律は役割を分担する関係にある。条例上の努力義務と法律上の措置義務を混同せず、自院に適用される規範を整理しておくことが望ましい。

人材の確保が年々困難になるなかで、職員が安心して働ける環境を制度として保証することは、採用と定着の観点からも合理的な投資である。カスタマーハラスメント対策の義務化は、規制の強化という側面だけでなく、医療機関が長年抱えてきた「我慢の文化」を制度の力で終わらせる契機でもある。10月1日まで残された時間は多くない。

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