Vol.1222 カスタマーハラスメント対策の義務化

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Vol.1222 カスタマーハラスメント対策の義務化

2026年10月1日、改正労働施策総合推進法が施行され、カスタマーハラスメント対策が事業主の法的義務となる。根拠となる改正法は2025年6月11日に公布され、厚生労働省の指針は2026年2月26日に策定された。義務の対象は、労働者を1人でも雇用するすべての事業主である。パワーハラスメント防止法の施行時に設けられたような中小企業向けの猶予期間は、今回は設けられていない。したがって、常勤医師1人、看護師2人、医療事務3人という規模のクリニックであっても、10月1日から義務を負う。

まず、法が定めるカスタマーハラスメントの定義を確認しておきたい。改正後の労働施策総合推進法は、職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者の言動であって、その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、労働者の就業環境が害されることと定めている。要件を分解すれば、行為者が顧客等であること、社会通念上許容される範囲を超えた言動であること、そして労働者の就業環境が害されることの3つが揃う必要がある。

医療機関において「顧客等」に該当するのは、患者本人にとどまらない。付き添いの家族、施設の職員、業者、そして紹介元・紹介先の関係者も含まれうる。この範囲の広さは、あらかじめ認識しておくべきである。

医療現場特有の難しさ

一般のサービス業と医療機関とでは、カスタマーハラスメント対応の難易度が大きく異なる。理由は3つある。

第1に、医師には応召義務がある。医師法第19条の趣旨に照らせば、正当な事由なく診療を拒むことはできない。もっとも、厚生労働省の通知においても、患者の迷惑行為の態様によっては診療しないことが正当化されうるとの整理が示されている。すなわち、応召義務は無制限の受忍義務ではない。しかし、その線引きは個別の判断を要し、現場の職員が独断で決められるものではない。

第2に、患者の言動の背景に医学的な要因が存在しうる。認知症による見当識障害、せん妄、精神疾患の症状、あるいは疼痛や不安による一時的な易怒性。これらは、行為の外形が同じであっても、対応の方針はまったく異なる。指針が求める措置を機械的に当てはめれば足りるという性質のものではない。

第3に、患者は苦痛と不安を抱えて来院している。待ち時間への苛立ち、病状への恐怖、費用への懸念。こうした感情の表出と、許容範囲を超えたハラスメントとの間に、明瞭な境界線を引くことは難しい。だからこそ、あらかじめ基準を決めておく意味がある。

何を整えるべきか

指針が求める措置は、大きく分けて、方針の明確化と周知、相談に応じる体制の整備、事案が生じた場合の迅速かつ適切な対応、そして相談者のプライバシー保護と不利益取扱いの禁止に整理される。

方針の明確化とは、就業規則や服務規律において、カスタマーハラスメントを容認しない旨を明記し、職員に周知することである。同時に、顧客等に対しても周知・啓発することが求められる。医療機関であれば、受付や待合室への掲示、ウェブサイトへの記載が現実的な手段となる。表現には配慮が要る。「暴言・暴力はお断りします」という掲示は、大多数の善良な患者にとっては不快な文言でもある。ある小児科クリニックでは、「安心して受診いただける環境を守るため、職員への迷惑行為には対応をお断りする場合があります」という趣旨の穏やかな表現を選び、あわせて「困ったことがあればお申し出ください」という一文を添えた。守るべき対象が職員だけでなく他の患者でもあることを示す構成である。

相談体制の整備については、小規模なクリニックでは「相談窓口」を独立して設けることが難しい。この場合、看護師長や事務長といった特定の役職者を窓口とし、その者が対応できない場合には院長に直接申し出られる経路を明示しておけばよい。重要なのは、職員が「誰に言えばよいのかわからない」状態を解消することである。

応召義務との関係をどう整理するか

現場から最も多く挙がる疑問が、「この患者の診療を断ってよいのか」という問いである。医師法第19条は、診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければこれを拒んではならないと定める。この規定の解釈については、厚生労働省の通知において整理が示されており、患者の迷惑行為の態様によっては、診療しないことが正当化される場合があるとの考え方が明らかにされている。すなわち、応召義務は無制限の受忍義務ではない。

もっとも、実務における判断は容易ではない。緊急性の高い症状を訴えている患者に対して、過去の迷惑行為を理由に診療を拒むことは、一般に正当化されにくい。他方、緊急性がなく、かつ信頼関係が破壊されていると評価できる場合には、他の医療機関を紹介したうえで診療を終了するという判断もありうる。重要なのは、この判断を院長が行い、その理由と経緯を記録に残すことである。現場の職員が独断で「もう来ないでください」と告げる事態は、いかなる場合であっても避けなければならない。

このため、対応の分岐をあらかじめ院内で決めておく意味は大きい。緊急性の有無をどう判断するか、判断に迷った場合に誰に確認するか、診療を継続しつつ言動については別途申し入れを行うという中間的な対応をどの場面で選ぶか。こうした整理が事前にあれば、現場は原則に沿って動ける。

電話とインターネット上の言動

来院時の対面のやり取りだけがカスタマーハラスメントの場ではない。むしろ近年増えているのは、電話とインターネットを介した事案である。

電話については、繰り返しかけ直しては同じ要求を続ける、長時間にわたって職員を拘束する、といった形態が典型である。ある内科クリニックでは、診療時間中の電話について、受話器を取ってからの経過時間が10分を超えた場合には責任者に交代するという内規を設けた。時間で区切ることの利点は、誰にとっても判断が明快である点にある。感情の度合いや発言内容の悪質さで判断しようとすると、担当者ごとに基準がぶれる。

インターネット上の中傷は、より対応が難しい。特定の職員を名指しした投稿、事実と異なる内容の書き込み。医療機関側が反論すれば、その職員が患者であったことを認めることになりかねず、守秘義務の問題が生じる。原則として個別の診療内容には触れず、必要であれば運営事業者への削除依頼、悪質な場合には弁護士への相談という経路を用意しておくのが現実的である。ここで最も重要なのは、名指しされた職員を1人で抱え込ませないことである。「気にするな」という言葉は、多くの場合、慰めにならない。組織として対応していることを本人に示すこと自体が、就業環境を守る措置となる。

被害を受けた職員への対応

指針は、事案が生じた場合に迅速かつ適切に対応することを求めており、そこには被害を受けた労働者への配慮も含まれる。医療機関において、この配慮は具体性を持たせなければ意味をなさない。

たとえば、強い叱責を受けた直後の職員をそのまま受付に戻すのではなく、いったん業務から離す。その日のうちに責任者が話を聞く。同じ患者が次に来院する際には、対応する職員を交代させる。いずれも特別な費用を要しない措置であるが、実行されているクリニックは多くない。ある皮膚科クリニックでは、事案が発生した日には、閉院後に5分程度の振り返りを行うことを習慣にした。責められる場ではなく、事実を共有する場であることを明確にしたうえで、次に同じ事態が起きたときにどうするかだけを話す。この短い時間の積み重ねが、職員の孤立を防いでいるという。

また、相談したことを理由に不利益な取扱いをしてはならないことは、指針が明示している。「あの人はクレームを受けやすい」という評価が人事上の判断に影響するようであれば、職員は相談しなくなる。相談件数が少ないことは、必ずしも良い状態を意味しない。

就業規則の整備という実務

10月1日までに済ませておくべき実務として、就業規則または服務規律の改定がある。カスタマーハラスメントを容認しない旨の方針、相談窓口の明示、相談者のプライバシー保護と不利益取扱いの禁止を、文書として定める必要がある。常時10人以上の労働者を使用する事業場であれば、就業規則の変更は労働基準監督署への届出を要する。10人未満の診療所であっても、文書として整備し職員に周知しておくことが求められる。

社会保険労務士に依頼するのが確実であるが、その際に丸投げをしないことが肝要である。医療機関特有の事情、すなわち応召義務との関係、患者の医学的背景への配慮、緊急性の判断といった論点は、外部の専門家だけでは書き切れない。院長自身が、自院として何を許容し何を許容しないのかを言語化する作業が必要である。

記録と基準づくり

実務上、最も効果があるのは記録の習慣化である。整形外科クリニックでは、診断書や後遺障害に関する書類をめぐって強い要求を受ける場面がある。書式や記載内容について繰り返し電話が入り、担当者が長時間拘束される。こうした事案は、その場では「よくあること」として流されがちであるが、日時、対応者、要求の内容、対応の経過を簡潔に記録しておけば、繰り返す事案の特定が可能になる。指針が求める事後対応も、記録がなければ検証しようがない。

耳鼻咽喉科や小児科のように、流行期に待ち時間が長期化する診療科では、受付職員が矢面に立つ。ここで組織として決めておくべきは、対応を打ち切る基準である。同じ内容の要求が3回繰り返された時点で責任者に交代する、暴言があった時点で対応を中断して責任者を呼ぶ、というように、判断を個人の裁量に委ねない仕組みを作る。基準があれば、職員は「自分の対応が悪かったのではないか」と自責の念に囚われずに済む。

カスタマーハラスメント対策は、職員を守るための制度であるが、その効果は職員の定着率という形で経営に返ってくる。医療事務や看護職の採用が難しくなっている現在、既存の職員が理不尽な理由で離職する損失は大きい。10月1日の施行を、院内の対応基準を初めて言語化する契機として使いたい。なお、東京都をはじめ複数の自治体では既に防止条例が施行されており、法律と条例は役割を分担する関係にある。所在地の自治体の状況もあわせて確認されたい。

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