Vol.1236 断水はなぜ診療を止めるのか ― 令和8年熊本地震が示したクリニックの事業継続

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Vol.1236 断水はなぜ診療を止めるのか ― 令和8年熊本地震が示したクリニックの事業継続

2026年7月28日16時27分頃、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した。宇城市と氷川町では震度7を観測している。国内で震度7が観測されたのは2024年1月の能登半島地震以来であり、10年前の平成28年熊本地震とほぼ重なる地域が、再び最大階級の揺れに見舞われたことになる。

 

この地震による医療機関の被害について、厚生労働省の集計は示唆に富む。熊本県内では92の医療機関が被災し、8月中旬の時点でもなお20施設あまりで被害が継続していた。ただし、その被害の中身の多くは建物の倒壊でも火災でもなく、断水である。所在地は八代市が突出して多く、次いで宇城市であった。薬局についても140施設あまりの被害が報告され、断水はやはり主要な被害類型となっている。9月1日の防災の日を目前にした今、開業医が自院の備えを点検するにあたって、この「断水」という一点は、従来の防災訓練が想定してきた被害像を大きく修正することを迫っている。

 

建物が無事でも診療は止まる 

クリニックの防災といえば、まず思い浮かぶのは什器の転倒防止であり、医療機器の固定であり、避難経路の確保である。これらはもちろん必要だが、今回の被害像が示したのは、建物も機器も無事でありながら診療が成立しなくなるという事態である。 

水が止まったとき、最初に止まるのは診療そのものではなく、診療を支える工程である。消化器内科において内視鏡の再生処理は水を大量に消費する。用手洗浄からすすぎ、洗浄消毒装置の稼働まで、いずれも上水の供給を前提としている。給水車から受け取ったポリタンクの水で代替できる工程ではない。したがって、断水が続く限り、内視鏡検査は建物の被害の有無にかかわらず停止する。検査が停止すれば、内視鏡関連の診療報酬はゼロになる。一般外来だけが残るとき、消化器内科の1日あたり医業収入がどの程度まで落ち込むかは、各院の検査比率を見れば容易に試算できる。 

同様の構造は他の診療科にも及ぶ。皮フ科および形成外科において、創傷処置や小手術の前後には器材の洗浄と滅菌が不可欠である。オートクレーブは純水または水道水を要する。整形外科のリハビリテーション部門では、ホットパックの温浴槽やタオルの洗濯が日常業務に組み込まれており、これも水がなければ回らない。耳鼻咽喉科で日帰り手術を行っている施設であれば、手洗いの水量だけを考えても、通常どおりの手術枠の維持は困難になる。そして、診療科を問わず共通して問題になるのが、患者と職員が使用するトイレである。水洗トイレが使えない状態で、待合室に患者を滞留させることはできない。 

つまり、断水はクリニックの診療機能を、外来の一部だけを残して段階的に削り取っていく。この削られ方は診療科ごとに異なり、削られ方の違いがそのまま減収幅の違いになる。自院にとって水が止まるとどの業務から失われるのかを、あらかじめ順番として書き出しておくことには、防災上の意味だけでなく、経営上の意味がある。

 

電源と情報 ― 止まるのは水だけではない 

停電への備えについても、近年の医療DXの進展が前提を変えている。オンライン資格確認、電子処方箋、電子カルテ情報共有サービスといった仕組みは、いずれもネットワークと電源の上に成り立っている。紙のカルテと紙の保険証で診療していた時代であれば、停電下でも問診と身体診察に基づく診療は継続できた。今日、電子カルテが立ち上がらなければ、過去の処方内容も検査値も参照できない。 

ここでクラウド型とオンプレミス型の差が現れる。クラウド型を採用している場合、院内のサーバーが被災してもデータそのものは保全される。ただし通信が途絶すれば参照はできない。オンプレミス型の場合、通信の途絶には強いが、院内のサーバーが損壊すればデータを失う。いずれの方式であっても、バックアップの保管場所が院内の同じ建物にあるならば、それは冗長化とは言えない。呼吸器内科で在宅酸素療法の患者を多数抱えている施設であれば、停電時の連絡先一覧を電子データとしてのみ保有している状態は、それ自体がリスクである。

 

診療を再開しても、収入は2か月後にしか入らない 

事業継続を財務の側から見たとき、医療機関には特有の時間差がある。診療報酬は、当月分を翌月10日までに請求し、審査を経て翌々月に入金される。すなわち、被災した月の診療報酬が現金として入るのは、およそ2か月後である。逆に言えば、被災によって診療が止まった月の減収は、2か月後に現金の穴として現れる。その時点では診療がすでに正常化していることも多く、資金繰りの逼迫と診療の実感がずれる。

 災害時には、被災者が被保険者証を提示できない場合の取扱いや、一部負担金の減免、概算による請求といった特例的な取扱いが事務連絡として示されるのが通例である。今回の地震に際しても、関係機関から順次事務連絡が発出されている。これらは請求実務を止めないための措置であるが、平時に一度も目を通したことがなければ、被災の渦中に理解して運用することは難しい。院内に残しておくべきは分厚い防災マニュアルではなく、災害時にどの通知を確認し、誰が請求事務を担うのかという最小限の取り決めである。

 あわせて確認しておきたいのが、火災保険における地震危険の取扱いである。事業用物件の火災保険は、特約を付していなければ地震による損壊を補償しない。休業補償についても同様で、地震を原因とする休業が補償対象に含まれているかどうかは契約ごとに異なる。断水を理由とする休業が「損壊を伴わない営業停止」として扱われ、補償の対象外となる場合もある。証券を確認するのに要する時間は30分に満たない。

 

職員もまた被災者である 

災害時の事業継続を検討する際、経営者が見落としがちなのは、職員自身が被災者であるという事実である。自宅が損壊し、断水した地域で生活しながら出勤することは容易ではない。子どもの保育施設が閉鎖されていれば、なおさらである。 

ここで生じるのが賃金の取扱いという実務問題である。使用者の責に帰すべき事由による休業であれば休業手当の支払義務が生じるが、天災事変による休業は原則としてこれに当たらないとされる。ただし、その判断は個別具体的であり、また法的な義務の有無と、職員が納得するかどうかは別の問題である。平成28年の地震の際、休業期間中の賃金を通常どおり支払った診療所と、無給とした診療所とで、その後1年間の離職率に差が生じたという指摘は各所でなされている。人材が慢性的に不足している現在、この差の意味は当時よりも大きい。手元流動性を3か月分確保しておくことの意味は、設備の復旧原資であると同時に、この局面での意思決定の自由度でもある。

 

事業継続計画を「文書」から「順番」へ 

令和8年度診療報酬改定において、地域における役割を評価する加算の一部に業務継続計画の策定が組み込まれたこともあり、書面としての事業継続計画を整備したクリニックは増えている。しかし、届出のために整えた文書が、実際の被災時に開かれることは稀である。 

実効性のある備えとは、詳細な文書ではなく、意思決定の順番をあらかじめ決めておくことに近い。水が止まったとき、どの業務を止め、どの業務を残すのか。休診を決める権限は誰にあり、患者への告知はどの手段で行うのか。職員の安否確認は誰が起点となり、何時間以内に完了させるのか。これらはいずれも、平時であれば5分で決められる事柄である。被災の当日に決めようとすれば、判断は遅れ、遅れは減収と信頼の毀損に直結する。

 熊本の事例が示したのは、災害が必ずしもクリニックを破壊するとは限らないということである。建物は残り、機器も無事でありながら、水という最も基礎的な資源の欠落によって、医療機関としての機能だけが失われる。地域の医療を担う事業体として、この静かな停止をいかに短くするかが、事業継続の実質的な課題である。

 

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