Vol.1251 人件費を「費用」ではなく「資本」として扱う ― クリニック経営における人的資本管理とスタッフ教育の位置づけ

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Vol.1251 人件費を「費用」ではなく「資本」として扱う ― クリニック経営における人的資本管理とスタッフ教育の位置づけ

上場企業の開示強化が問いかけているもの

2026年2月20日、企業内容等の開示に関する内閣府令が改正され、2026年3月期の有価証券報告書から人的資本に関する開示が拡充された。同年3月には人的資本可視化指針も改訂されている。新たに求められたのは、経営戦略と関連づけた人材戦略の説明や、給与・報酬の決定方針などである。2023年の開示義務化以降も、人的資本への投資が経営戦略の実現や財務指標の改善にどう結びついているのかの説明が足りないという指摘が続いてきたことが、改正の背景にある。

クリニックは有価証券報告書を提出しないため、この改正の直接の対象ではない。しかし、改正が問うている論点、すなわち「その人材への投資は、事業の何を実現するためのものか」という問いは、職員数名から20名程度の診療所にこそ当てはまる。大企業であれば1人の育成の失敗は組織全体に吸収されるが、受付2名、医療事務2名、看護師3名という規模の診療所では、1人の能力の差がそのまま患者対応の質、請求の精度、そして院長の業務負担に表れるからである。

人件費は削る対象か、育てる対象か

多くのクリニックでは、人件費は医業収益に対する比率で管理されている。人件費率が上がれば警戒し、下がれば安心する。この管理方法は費用の統制としては正しいが、職員を「少ないほど良い費用」としてしか見ない危険をはらんでいる。人的資本管理という考え方の特徴は、職員の知識・技能・判断力を、時間をかけて蓄積され、将来の収益を生む資産として扱う点にある。

この視点に立つと、経営上の問いが変わる。「人件費を何%に抑えるか」ではなく、「支払っている人件費に対して、職員はどれだけの価値を生む状態にあるか」「その状態を高めるために何に投資すべきか」が問いになる。同じ給与を支払っていても、算定要件を理解して請求漏れを防げる職員と、画面に表示されたとおりに入力するだけの職員とでは、クリニックにもたらす価値がまったく異なる。人件費率が同じ2つのクリニックの間で経営成績に差がつくのは、多くの場合この違いによる。

賃上げの圧力が続く現在、この視点の重要性は一層高まっている。最低賃金は毎年大幅に引き上げられ、熟練職員との賃金差を保つためには全体の賃金水準を上げざるを得ない。診療報酬の引き上げ幅がそれに追いつかない以上、人件費の総額を抑える努力だけでは利益率の低下を止められない。同じ人件費で生み出す価値を高めること、すなわち職員1人あたりの能力を高めることが、賃上げ時代における数少ない現実的な対応策である。

教育の必要性は認識されているが、実行されていない

厚生労働省が2026年7月31日に公表した令和7年度能力開発基本調査によれば、計画的なOJTを正社員に実施した事業所は60.6%であったのに対し、正社員以外に実施した事業所は25.1%にとどまった。能力開発や人材育成に何らかの問題があるとする事業所は80.1%に達している。この調査は常用労働者30人以上の事業所を対象としており、より小規模なクリニックの実態はこれを下回ると考えるのが自然である。

クリニックの事務部門は、短時間勤務の職員によって支えられていることが多い。正社員以外への計画的な教育が4分の1の事業所でしか行われていないという数字は、診療所の受付・医療事務の教育実態をそのまま映していると見てよい。多くの現場では、先輩職員の横で見て覚えることが教育のすべてであり、何をどの順序で習得すれば一人前なのかが言語化されていない。

教育が後回しになる構造的な理由

クリニックで教育が後回しになるのは、院長が教育を軽視しているからではない。多くの場合、教育の成果が見えにくく、教育を怠ったことの損失も見えにくいからである。算定漏れは請求されなかった点数であるため、誰も気づかないまま毎月失われていく。職員が要件を理解していないことによる返戻は、個別の事務ミスとして処理され、教育の問題として認識されることは少ない。職員の離職も、人間関係や待遇の問題として語られ、成長の機会がなかったことが理由として挙がることはまれである。

つまり、教育への投資は費用として帳簿に表れる一方、教育をしないことの損失は帳簿に表れない。この非対称性がある限り、教育は常に「今月は忙しいから来月に」と先送りされる。人的資本管理の考え方が求めているのは、この見えない損失を見える形にし、教育を費用ではなく投資として判断できる状態をつくることである。

なぜレセプトが人的資本管理の中心になり得るのか

では、クリニックにおいて職員に蓄積されるべき知識・技能とは何か。接遇、電話対応、機器操作など多くの要素があるが、診療所という事業の構造を最も正確に反映しているのはレセプトである。レセプトには、どの患者に、どの病名で、どの診療行為を行い、それがどの算定要件を満たして何点となったのかが、すべて記録される。つまりレセプトは、院長が行った医療を保険制度の言語に翻訳した、事業記録そのものである。

レセプトを理解している職員は、自院の診療内容と収益構造を理解している職員である。逆に、レセプトを理解せずに受付や会計を担当している職員は、自院が何によって成り立っているのかを知らないまま働いていることになる。スタッフ教育の中心にレセプトを置くことは、単に請求事務の技能を高めることではなく、職員を事業の理解者に育てることを意味する。

さらに重要なのは、レセプト業務が毎月必ず発生するという点である。教育のために別の時間を確保するのではなく、毎月の点検・請求業務そのものを段階的な教育課程として設計すれば、研修時間を新たに設けずに育成を進めることができる。この点が本特集の中心的な主張であり、Vol.1252で具体的な設計方法を、Vol.1253でその時間効率と費用対効果を検討する。

診療科によって「職員に求める能力」は異なる

人的資本管理の出発点は、経営戦略から逆算して職員に必要な能力を定義することである。循環器内科を例にとる。高血圧、脂質異常症、心不全などの慢性疾患を継続的に管理することが経営の柱であれば、職員に求められるのは、生活習慣病管理料や各種の指導管理料の算定要件を理解し、療養計画書の更新時期や検査の実施間隔を把握できる能力である。これがなければ、院長がいかに丁寧な管理を行っても、その医療はレセプト上に正しく表現されず、要件の不備による返戻や算定漏れが生じる。

耳鼻咽喉科で日帰り手術を行っているクリニックでは、求められる能力の性質が異なる。手術料、麻酔、特定保険医療材料、術前検査、術後の処置と、算定項目が多岐にわたり、しかも1件あたりの点数が大きい。1件の算定誤りが外来の再診数週間分に匹敵する影響を持ち得るため、手術症例のレセプトを正確に扱える職員の存在は、それ自体がクリニックの資産である。同じ「医療事務」という職種名でも、診療科の戦略によって育てるべき能力は異なり、それを定義するのは院長の役割である。

院長が決めるべき3つのこと

人的資本管理を実践するうえで、院長が最初に行うべきことは3つある。第1に、自院の経営戦略において、事務部門がどの能力を持つべきかを言語化することである。第2に、その能力の到達度を測る指標を定めることである。クリニックにおいては、返戻件数、査定点数、算定漏れの発見件数、レセプト点検に要する時間、独力で点検を完結できる職員の人数などが、人的資本の状態を示す実用的な指標となる。第3に、教育を「余裕があるときに行うもの」ではなく、日常業務に組み込まれた仕組みとして位置づけることである。

開業準備中の医師にとっての意味

これから開業する医師にとって、この論点はさらに重要である。開業時には複数の職員を同時に採用し、開院前の限られた期間でレセプトコンピュータや電子カルテの操作研修を行うのが一般的である。しかし、操作研修で身につくのは入力の手順であって、算定の判断ではない。開院後の数か月は患者数が少なく、1件ずつのレセプトを丁寧に確認できる時期である。この時期を、職員が自院の算定を理解するための最初の教育期間として意図的に設計しておけば、患者数が増えてから慌てて対応する必要がなくなる。開業時の職員構成と教育の設計は、事業計画の一部として考えるべき事項である。

なお、職員の育成については、Vol.1217で教育の属人化と習得段階の明示を、Vol.1230で医療事務のキャリアパスを、Vol.1243で人事評価を、Vol.1247で業務の属人化解消を扱ってきた。本特集はそれらを踏まえつつ、「何を教材として、どの時間で育てるか」という問いに対し、レセプトという具体的な答えを検討するものである。職員は、採用した時点の能力で固定される存在ではない。育て方を設計したクリニックだけが、人件費を資本に変えることができる。

 

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