Clinic Diary
クリニック奮闘記
Clinic Diary
クリニック奮闘記
保険診療と自費診療の区別は、医療機関にとっては制度上の当然の前提である。しかし、患者にとってはその境界が見えにくい。同じ診察室で、同じ医師から受ける医療のうち、どこまでが保険でどこからが自費なのか。なぜ自分の場合は保険が使えないのか。こうした疑問に説明がないまま会計で費用を告げられると、患者は不信を抱く。
境界をめぐるトラブルは、多くの場合、医療の内容ではなく、説明の時期と方法に原因がある。本稿では、保険と自費の境界に関する制度上の原則を確認したうえで、院長がどの時点で、何を、どのように説明し、同意を得るべきかを検討する。
日本の公的医療保険制度では、1つの疾病に対する一連の診療の中で、保険診療と保険外の診療を組み合わせる、いわゆる混合診療は原則として認められていない。保険外の診療を併せて行った場合には、本来保険が適用される部分も含めて全額が自己負担となるのが原則である。
この原則の例外として、保険外併用療養費の制度がある。評価療養や選定療養など、厚生労働大臣が定めるものに限って、保険診療との併用が認められる。診療所に身近な例としては、長期収載品の選定療養や、予約に基づく診察、時間外の診察などがある。これらは、制度上定められた範囲で、院内掲示などの要件を満たして初めて患者から費用を受け取ることができる。
また、診断書などの文書の作成や、予防接種、健康診断のように、療養の給付とは直接関係のないサービスについては、その内容と費用を明示し、患者の同意を得たうえで実費を受け取ることができる。どのような費用が受け取れ、どのような費用が受け取れないかについては、厚生労働省の通知で整理されている。
保険外併用療養費の中でも、診療所に関わることが多いのが選定療養である。2026年6月には、長期収載品の選定療養において患者が負担する特別の料金が引き上げられた。長期収載品の処方を患者が希望した場合、その費用は薬局で発生するが、処方の段階で患者の希望を確認するのは医師であり、患者が最初に疑問をぶつけるのも処方したクリニックであることが多い。
予約に基づく診察や時間外の診察について特別の料金を受け取る場合には、その内容と費用を院内に掲示し、ホームページにも掲載したうえで、患者に事前に説明して同意を得ることが必要である。掲示や同意の手続きが整っていないまま費用を受け取れば、制度上の要件を満たさないことになる。選定療養は、保険と自費の境界の中でも、制度によって手続きが細かく定められている領域であり、院長は自院が受け取っている費用の根拠を確認しておく必要がある。
Vol.1260では、査定を理由に診療の一部を自費に切り替えることは混合診療にあたるおそれがあると述べた。同じ考え方は、日常の診療にも当てはまる。保険の算定要件を満たさない検査や処置を、患者の希望だからといって同じ受診の中で自費として請求すれば、制度上の問題が生じる可能性がある。
境界を守るために必要なのは、保険診療として行う医療と、保険外のサービスとして提供するものとを、診療の設計の段階で明確に分けておくことである。保険外のサービスとして提供するものについては、対象となる疾病や目的、提供する日や枠を保険診療と区別し、患者にもその区別を事前に説明しておく。
境界をめぐるトラブルを防ぐうえで最も重要なのは、説明の時期である。費用が発生する医療やサービスを実施する前に、その内容、保険が適用されない理由、費用の目安を説明し、患者の同意を得ておく。実施した後に会計で初めて説明するのでは、患者は選択の機会を奪われたと感じる。
説明は口頭だけでなく、書面でも行うことが望ましい。費用の目安と、追加の費用が発生する可能性のある場合の条件を記載した説明書を用意し、患者に渡す。高額になる場合や、継続的な費用が発生する場合には、同意書に署名を得ておく。書面は、患者の理解を助けると同時に、後日の認識の食い違いを防ぐ記録となる。
説明書には、提供する医療やサービスの名称と目的、保険が適用されない理由、費用の目安、追加の費用が発生する場合の条件、そして患者が提供を受けない選択をした場合の取扱いを記載する。最後の点は見落とされやすいが、患者が断る自由を持っていることを示すことは、同意が真に任意のものであることを示すうえで欠かせない。
同意書は、説明書の内容を理解したうえで提供を受けることに同意した旨を記録するものである。署名の日付は実施の前でなければ意味がない。説明書と同意書の文面は、一度作成したら終わりではなく、価格や制度の変更に合わせて定期的に見直す必要がある。
消化器内科のあるクリニックでは、自費の内視鏡検診と、症状のある患者に対する保険診療の内視鏡検査を行っていた。自費の検診の申込者が問診の段階で症状を訴えることがあり、その場合に保険診療に切り替えるのか、検診として行うのかの判断が担当者によって異なっていた。院長は、申込の段階で症状の有無を確認する問診票を整え、症状がある場合には検診ではなく保険診療としての受診を案内する基準を定めた。検診で異常が見つかった場合に、後日の精密検査を保険診療として行う流れも、検診の申込時に説明するようにした。
整形外科では、医療用のサポーターや足底板の販売、保険の算定日数を超えた後のリハビリテーションの扱いが、患者の疑問を生みやすい。あるクリニックでは、リハビリテーションの算定日数の上限が近づいた患者に対して、上限に達した後の選択肢を早めに説明するようにした。介護保険のサービスへの移行や、自主的な運動の指導など、患者が次の選択肢を考える時間を確保することで、上限に達した時点での戸惑いは少なくなった。
小児科では、任意の予防接種と保険診療の受診が同じ日に重なることがある。予防接種は療養の給付とは別のサービスであり、費用の扱いも異なる。保護者には、予約の段階で、予防接種の費用と、同じ日に診察を受けた場合の保険診療の費用とが別に計算されることを案内しておけば、会計時の混乱を避けられる。
耳鼻咽喉科で日帰り手術を行っているクリニックでは、手術の説明の際に、保険が適用される手術の費用の目安と、高額療養費制度の対象となる可能性、そして手術に関連して保険外の費用が発生するかどうかを、同じ説明書にまとめて示している。手術は患者にとって大きな決断であり、費用の見通しが立つことは、手術を受けるかどうかを判断するための前提となる。
これから開業する医師にとって、保険と自費の境界は、診療の設計の段階で決めておくべき事項である。勤務医時代には、病院の医事部門が境界の判断を担っていたため、医師が意識することは少なかったかもしれない。開業後は、どの医療を保険で行い、どのサービスを保険外で提供するのかを、院長自身が判断しなければならない。開業前に提供予定のサービスを一覧にし、それぞれが保険診療か、保険外併用療養費か、療養の給付と直接関係のないサービスかを整理しておけば、開業後に境界をめぐって迷うことは少なくなる。
保険と自費の境界の説明は、最終的には院長の責任である。どの医療を保険で行い、どのサービスを保険外で提供するのかを決めるのは院長であり、その判断の根拠を最もよく説明できるのも院長である。説明のすべてを院長が行う必要はないが、説明の内容、説明書の文面、同意を得る時期と方法は、院長が決めておくべきである。
境界が明確で、事前に説明されているクリニックでは、患者は費用について安心して判断できる。その安心は、医療の内容に対する信頼と同じく、患者がクリニックを選び続ける理由となる。境界の説明が丁寧なクリニックでは、自費のサービスを選ぶかどうかを患者が自ら判断できる。勧められたから受けたのではなく、説明を聞いて自分で選んだという経験は、たとえ費用がかかっても患者の納得を生む。反対に、境界が曖昧なまま費用が発生すれば、患者は医療の内容そのものにまで疑いを持つようになる。境界の明確さは、患者の自己決定を支える医療の基盤である。
次稿Vol.1268では、こうした患者の体験そのものを、どのように把握し、改善につなげるかを検討する。