Clinic Diary
クリニック奮闘記
Clinic Diary
クリニック奮闘記
開業8年目、住宅街の駅前で婦人科クリニックを続けている。先月、半年ごとに行っている患者アンケートの自由記述欄を読み返していて、手が止まった。「受付で来院の理由を聞かれたとき、後ろに人が並んでいて答えにくかった」という1行である。
「うちの受付は丁寧だと思っていたのに...」と、最初は正直に動揺した。受付の佐藤さんは勤続6年のベテランで、患者さんへの声かけは柔らかく、苦情を受けたこともない。批判された気がして、「たまたま混んでいた日の話だろう」と書き流しかけたのだった。
それでも引き出しから前回までのアンケートの束を取り出し、めくってみた。3年前の用紙にも「診察室に入る前に、名前と症状が聞こえてしまった」とある。1件ずつなら偶然で片づけられるが、並べてみると、同じ場所で同じ不満が繰り返されていた。
翌週の診察開始前、白衣を脱いで、患者さんと同じ待合室の端の椅子に座った。受付の佐藤さんと、今年入職した事務の田中さんには、普段どおりの応対を頼んである。声を落としているつもりでも、カウンターから3メートルほど離れたこの席に、やりとりがはっきり届いた。
「お名前をお願いします」「今日はどういった症状でいらっしゃいましたか」。診察券を出す患者さんの後ろでは、次の患者さんがすでに待っている。聞かれた側は、列の視線を背中に受けながら小声で答えるしかない。「こんな場所で、生理の話や不正出血の話を口にさせていたのか...」と、胸の奥が冷えた。
呼び出しも気になった。「山田さん、どうぞ」と名字を呼ぶ声が、待合室全体に響く。同じ町内に住む人どうしなら、婦人科にかかっていることまで知られてしまうだろう。会計では、検査代が含まれた明細の項目を読み上げる声まで耳に入った。どれも悪気のない、親切のつもりの言葉ばかりである。
親切が、患者さんには負担になっていた。この事実に気づけたのは、アンケートの1行を軽く扱わなかったからにほかならない。診察室の中だけを見ていた私には、待合室の景色がまるで見えていなかった。
観察のあと、田中さんに感想を聞いた。「正直、ここまで聞こえているとは思っていませんでした」という答えだった。佐藤さんも「前に勤めていた医院でも、これが当たり前でした」と首をかしげる。2人を責める気にはなれなかった。声の届く距離を誰も測ったことがなく、教える立場の私も、そこを教えていなかったのだから。
対策を考える前に、患者さんの情報が周囲に聞こえてしまう場面を、受付から会計までの流れで書き出した。「気をつけよう」と言うだけでは、職員に何も伝わらないからだ。整理した結果、場面は次の4つだった。
4つの場面に共通しているのは、患者さんが「自分で選べない」という点だ。受付で聞かれれば答えるしかなく、名前を呼ばれれば立ち上がるしかない。婦人科を受診する方の中には、家族にも職場にも伝えていない相談を抱えている人が少なくない。そこで、守る対象を症状だけでなく「受診していること自体」まで広げて考えることにした。
「場面ごとに守るルールを決めてしまえば、職員は迷わないはずだ」。そう考えて、1つずつ手を入れていくことにした。
最初にやめたのは、受付での聞き取りである。初診の方には来院前のウェブ問診と、来院後の紙の問診票で症状を書いてもらう。再診の方には「前回から変わりありませんか」と聞くだけにして、詳しい話は診察室に回した。カウンターには「症状は、口頭でお話しいただかなくて結構です」と書いた小さな案内も置いた。
呼び出しは、受付時に渡す番号札の番号に切り替えた。希望する方だけでなく、全員を番号にそろえている。名字を呼ぶ習慣をやめることに、職員は最初こそ戸惑っていた。ところが2週間もすると、佐藤さんが「呼び間違いの心配がなくなって、私たちも楽ですね」と言い出した。患者さんを守るための変更が、職員の負担も軽くしていたのである。
会計では、金額を口頭で言わず、モニターの表示と、トレイに載せた明細で伝える形にした。検査名や処置名の入った項目は読み上げない。患者さんから質問されたときだけ、窓口の端の仕切りの陰で小声で答える。電話での結果案内は、冒頭で「今、お話ししても大丈夫ですか」と確かめてから本題に入る順番に決めた。
看護師の内診室での声かけも見直した。「下着を取ってお待ちください」のような指示は、カーテン越しに隣の診察台へ聞こえやすい。内容を絵入りのカードで示し、口頭は「カードの案内に沿ってご準備ください」だけにした。看護師の山本さんは「声をかける回数が減って、患者さんも落ち着いて準備できています」と話している。
診察室と待合室を隔てる扉にも手を入れた。業者に見てもらうと、扉の下の隙間から、診察中の声が漏れていることがわかった。隙間をふさぐ部材を取りつけ、待合室のスピーカーから小さく環境音を流すだけで、聞こえ方は大きく変わる。大がかりな改装をしなくても、できることは意外に多い。
仕組みを変えても、それを使うのは人である。田中さんのように入職して間もない職員は、ベテランの応対を見て真似るしかなく、なぜ声を落とすのかという理由までは聞いていない。以前書いた新人の医療事務が3か月で辞める ― 教育を「先輩の頭の中」から「院内の仕組み」へ移すでも触れたとおり、応対の質を先輩の頭の中に置いたままでは、人が入れ替わるたびに質が揺れてしまう。
そこで、週に1回、始業前の10分を使い、勉強会に「聞こえる距離」のロールプレイを加えた。ひとりが患者役、ひとりが受付役、もうひとりが待合室の椅子に座って「何が聞こえたか」を発表する。待合室の側から聞いてみると、職員自身が自分の声の大きさに驚く。田中さんは待合室の席に座った途端、「会計の金額まで聞こえます」と目を丸くした。「正しい言い方を暗記させるより、患者さんの席から見える景色を共有するほうが先だ」と、私は考えている。
判断の基準は1つに絞った。「その言葉が隣の席の人に聞こえても、患者さんは困らないか」である。この問いなら、マニュアルに載っていない場面でも、職員が自分で答えを出せる。医療事務スタッフ教育は、手順を覚えさせる作業ではなく、判断の軸を渡す作業だと実感した。
患者さんの受け止め方を測る方法については、満足度ではなく体験を問う ― 小規模クリニックで患者体験を測り、改善につなげる方法で整理している。アンケートの項目を見直したい院長は、あわせて読んでみてほしい。今回の1行も、満足度の点数ではなく、自由記述の欄から見つかったものだ。
変更から2週間が過ぎたころ、新しい問題が見えてきた。月初の数日間だけ、番号札の案内や問診票の記入の手伝いが雑になるのだ。原因は、レセプト請求の締め作業だった。月初の3日間は、事務スタッフ3人のうち2人が請求の点検に回り、窓口に立つのは1人きりになる。
月初のシフトを書き出すと、窓口が1人だけの時間帯は合計で約9時間あった。この時間に、電話、会計、問診票の確認が集中する。いくら基準を共有しても、1人では応対の質を保てない。
「窓口に人を置く時間を、請求作業が奪っているのか」。プライバシーへの配慮は、手をかけて初めて成り立つ。その手が月初に消えるなら、仕組みは形だけになってしまう。
そこで、月初の請求業務のうち、外に出せる部分を切り出せないかと考え始めた。レセプト外注は、費用だけで決めるものではない。窓口にいる職員の時間を、何に使うかを決める問題である。外注した場合に職員の仕事がどう変わるかは、外注すると事務職員の仕事はどう変わるか ― 役割の再設計と、職員への説明の順番に詳しく書いた。
どこまで任せられるのかを調べるときは、まずレセプト代行・レセプト請求代行サービスの内容を確認してほしい。比べるときは、窓口に残す仕事を先に決めておくと、判断がぶれない。私の医院では、受付と会計の応対は自院に残し、点検と提出を外に出す方向で検討している。
3か月後、同じ項目でアンケートを取り直した。「受付で話しにくかった」という記述は、自由記述から消えていた。かわりに「番号で呼んでもらえて安心した」「会計で何も言われなかったのが助かった」と書かれている。
数字の変化を誇るつもりはない。ただ、1行の苦情から出発して、声という目に見えないものを仕組みと基準に置き換えられたことは、院長として素直にうれしかった。「クリニックの質は、診察室の中だけでは決まらない」。待合室、受付、会計、電話のすべてで患者さんと向き合っているのは、医師ではなく職員である。
後日、田中さんから「先生、お手洗いの前の掲示も、声に出さなくていい案内に変えませんか」と提案があった。職員の側から改善案が出るようになったのは、判断の基準を共有できた成果だと思う。
職員が迷わず動ける基準と、動ける時間を用意すること。それがクリニック経営における院長の仕事だと、今は思っている。まだ自院の待合室の椅子に座っていない院長は、診療前の10分でかまわないので、患者さんと同じ席に座ってみてほしい。そこで聞こえた声が、次のアンケートに書かれてしまう前に。
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