Clinic Diary
クリニック奮闘記
Clinic Diary
クリニック奮闘記
11月の第1週、顧問の社会保険労務士から、職員ごとの年次有給休暇の取得状況表が届いた。私が郊外の駅前で精神科クリニックを開業して10年になる。医師は私だけで、受付と医療事務が4人、精神保健福祉士が1人という小さな所帯だ。
表を上から眺めていき、ある行で目が止まった。医療事務の主任、中村さんの欄である。4月の基準日から7か月が過ぎているのに、取得日数は1日だけだった。
(中村さんが休んだのは、5月に子どもの学校行事があった日だけか。ほかの日は、ずっと出てきてくれていたのだ)
ありがたい、と思った。けれども、すぐに背中が冷たくなった。これは感謝で済む話ではなく、使用者である私の義務の話だったからだ。
2019年4月から、年次有給休暇が10日以上付与される労働者については、使用者が年5日を確実に取得させることが義務になった。基準日から1年以内に5日に届かなければ、休まなかった職員ではなく、休ませなかった使用者の側が問われる。管理監督者も対象に含まれ、職員ごとの年次有給休暇管理簿を作って保存することも求められている。
中村さんの基準日は4月1日だ。来年3月末までに、あと4日を取ってもらわなければならない。残りは5か月弱。年末年始と年度末の繁忙を考えれば、余裕があるとは言えない。
(制度が始まった年に、説明会の資料は読んだはずだ。それなのに、取得の状況を自分の目で確かめたのは、今日が初めてではないか)
恥ずかしい話だが、私は「休みたい人は申し出るだろう」と考えていた。申し出がないことを、問題がないことと取り違えていたのである。
社会保険労務士に尋ねると、管理簿には、基準日と、与えた日数と、実際に取得した日付を職員ごとに記録しておけばよいという。様式は自由で、出勤簿や賃金台帳とあわせて管理しても構わない。難しいのは書式ではなく、記録を毎月誰が見るかを決めることだ、とも言われた。
パートの職員についても確認した。週の所定労働日数が少ない職員は、付与される日数そのものが少なく、10日に届かなければ年5日の義務の対象からは外れる。当院のパート2人のうち、週4日勤務の山田さんは勤続年数から見て対象に入っていた。
(対象かどうかを、職員ごとに把握していなかった。これも、院長の仕事のうちだったのだ)
翌日の昼休み、中村さんに声をかけた。責めるつもりはないこと、むしろ私の管理が足りなかったことを、最初に伝えた。
「休めない、というより、休む日が見つからないんです。月初はレセプト請求があるので抜けられませんし、月の半ばは自立支援医療の更新の書類が重なります。下旬は、翌月の予約の電話が増えますから」
聞いてみると、中村さんの頭の中には、1か月の仕事の山がはっきり描かれていた。月初の10日間は、レセプトの点検と請求で手が離せない。公費の併用が多い当院では、自立支援医療の受給者番号や有効期限の確認だけで、相当な時間がかかる。
「私が休むと、点検が止まります。ほかの人に頼むにも、どこまで頼めばいいのか、説明するほうが大変で」
(中村さんが遠慮しているのではない。休めない構造を作ったのは、私のほうだ)
職員が休まないのは、本人の性格や責任感の問題として片付けられがちだ。しかし、クリニック経営の視点で見れば、たいていは業務の設計の問題である。特定の人がいないと止まる仕事がある限り、その人は休めない。
そこで、中村さんの話を聞きながら私が手を動かして、1か月の業務の山を表にまとめた。休暇を入れやすい時期と、避けたい時期を、職員全員が見える形にするためだ。
| 時期 | 主な業務 | 休暇の入れやすさ |
|---|---|---|
| 月初(1日〜10日) | レセプトの点検と請求、返戻への対応 | 主任は避けたい。ほかの職員は1人まで可 |
| 月中(11日〜20日) | 自立支援医療の更新書類、診断書の受付 | 交代で取りやすい |
| 下旬(21日〜月末) | 翌月の予約調整、月末の締め | 取りやすい。電話の多い曜日は避ける |
表にしてみると、月の半分以上は、誰かが休んでも回せることが分かった。中村さんが休めなかったのは、月の全部が忙しかったからではない。忙しくない日にも、「いつ何が起きるか分からない」という不安が、休みの申し出を止めていたのだ。
精神保健福祉士の小林さんにも話を聞いた。小林さんは、患者さんの相談や関係機関との連絡を受け持っている。担当の患者さんがいるため、予定が読みにくく、休暇が後回しになりやすいという。月中の自立支援医療の更新の時期を避け、相談の予約が少ない曜日に休むことで、本人とも合意できた。
この表をもとに、職員全員に、来年3月までの休暇の希望を書き込んでもらった。私の診療日程と照らし合わせ、重なりがあれば調整する。申し出を待つのではなく、院長の側から計画を差し出す形に変えたわけである。
あわせて、社会保険労務士に、年次有給休暇の計画的付与について相談した。労使協定を結べば、あらかじめ取得日を決めて休暇を与えることができる。計画的に与えた日数は、年5日の時季指定の義務から差し引かれる。
労使協定は、職員の過半数を代表する人と書面で結ぶ。小さな医院では形だけになりがちだが、当院では職員に代表を互選してもらい、案を持ち帰って全員で話し合う時間を取った。院長が決めた日を押し付けるのでは、計画年休の意味が薄れてしまう。
話し合いの場では、受付の若い職員から「連休よりも、平日に1日ずつ休めるほうが助かる」という声も出た。子どもの行事や通院に合わせたい職員もいる。計画年休は全員に同じ日を与える形だけでなく、班ごとや個人ごとに日を割り当てる形も取れると聞き、案を組み直した。
当院では、年末年始の休診に1日を足して連休にし、その日を職員全員の計画年休とする案を職員に示した。医院を閉める日を増やせば、患者さんへの影響は出る。だから、通院の間隔が長い方の予約は早めに前後へ振り分け、急な不調への連絡先も院内に掲示した。
(院長が休まない医院で、職員が休めるはずがない。まずは私の休診の日を、先にカレンダーへ書き込もう)
精神科の外来は、患者さんにとって「いつもの場所」であることが大切だ。休診を増やすことには迷いがあった。ただ、疲れ切った職員が受付に立つほうが、患者さんにとってよほど不安だと考え直した。
残る課題は、月初の10日間である。中村さんが不在でも請求が回るようにするには、点検の手順を書き出し、2人目の担当を置くしかない。
中村さんは、手順を書き出す作業に意外なほど前向きだった。「自分の頭の中にしかないことが、こんなに多かったんですね」と笑いながら、11月中に月初の点検の流れを書き終えると約束してくれた。書き出された手順は、受付の職員が読んで分かるかどうかを、私が確かめることにしている。
それでも、医療事務の経験者を新たに採用するのは簡単ではない。月初の山を院内の人数だけで乗り切る形そのものを見直す方法として、レセプトの外注も比較の対象に入れた。知人の院長は、点検と請求の大部分を外部に任せたことで、主任が月初にも休めるようになったと話していた。レセプト代行・レセプト請求代行サービスの内容を読んでみると、何を任せ、何を院内に残すかを、自院の事情に合わせて組み立てる余地があることも分かった。
レセプト代行やレセプト請求代行を使うかどうかは、費用と院内の体制を並べて、来年度の予算の中で判断するつもりだ。少なくとも、「中村さんが休めば請求が止まる」という状態を放置する理由は、もうどこにもない。
今回の件で、私は別のことにも気づいた。いずれ診療所承継(M&A)を考える時期が来たとき、相手方が確かめるのは、患者さんの数や設備だけではない。職員の労務管理が整っているか、特定の職員に業務が偏っていないかも、必ず見られる。
有給休暇の管理簿がなく、主任ひとりに請求が集中している医院は、引き継ぐ側から見れば不安の塊だろう。逆に、誰が休んでも回る仕組みがある医院は、院長が代わっても職員が残りやすい。
(休める職場をつくることは、職員のためであり、患者さんのためであり、いずれは医院の価値を守ることにもつながる)
医療事務スタッフ教育というと、知識を教えることばかりを思い浮かべていた。けれども、仕事を人に渡せる形にしておくことも、立派な教育なのだと思う。
先週、受付の奥に貼った休暇のカレンダーを見ると、12月の中旬に中村さんの名前が2つ並んでいた。その横には、パートの職員が書いた「この日は私が電話を受けます」という小さな付箋がある。
山田さんは月末の週に、小林さんは1月の連休の前後に、それぞれ休暇を入れた。私自身も、2月に平日の休診を1日だけ設けることにした。院内の掲示と予約の電話で、2か月前から患者さんにお知らせする予定だ。
取得状況の表は、これから毎月の経営ミーティングで確認する。月初の請求が終わった週に、職員ごとの取得日数を私が読み上げる。数字を見続けること自体が、職員への「休んでいい」という合図になると考えたからだ。
私が用意したのは、表とカレンダーと、少しの勇気だけだった。それでも職場の空気は、確かに変わり始めている。皆さんの医院では、主任の休暇の日を、院長が答えられるでしょうか。
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