育児中の職員の「困る時間帯」を聞く ― 柔軟な働き方の措置義務と、月初のレセプト請求を止めない人員設計

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育児中の職員の「困る時間帯」を聞く ― 柔軟な働き方の措置義務と、月初のレセプト請求を止めない人員設計

ある朝、受付主任の宮本さんが、私の診察室の前で小さく頭を下げた。「院長、少しお時間をいただけますか」。手には1枚の紙があった。保育園の送迎時間を変えたいという相談だった。

うちは駅前にある婦人科クリニックで、職員は9名。宮本さんは入職8年目で、窓口もレセプト請求業務も任せてきた、いわば医事課の屋台骨である。

(そうか、お子さんがもう3歳になるのか。時間がたつのは早いな。しかし、彼女が17時で帰る日が増えたら、月初のレセプト点検は誰が回すんだ)

相談を受けた日、私は制度を知らなかった

正直に書く。私は、育児中の職員への配慮を「その場の善意」で済ませてきた。産休・育休は制度どおりに送り出したが、復帰後の働き方は、本人の希望を聞いて、できる範囲で合わせる。それが院長の器だと思い込んでいた。

その夜、社会保険労務士の先生に電話をかけた。返ってきたのは、耳の痛い話だった。

「先生、2025年10月から、3歳から小学校就学前の子を育てる職員に対して、柔軟な働き方の措置を用意することが事業主に義務づけられています。もう施行から1年たっていますよ」。

(義務だったのか。善意の問題ではなく、うちの就業規則の問題だったんだ)

厚生労働省の特設サイトで確認すると、内容は次のとおりだった。事業主は、次の5つの措置から2つ以上を選んで講じる。職員は、そのうち1つを選んで使う。

  • 始業時刻の変更
  • テレワーク等(月10日以上)
  • 保育施設の設置・運営等
  • 養育両立支援休暇の付与(年10日以上)
  • 短時間勤務制度

措置を選ぶときは、職員の過半数を代表する人などから意見を聴く機会を設ける。また、子が3歳になる前に、措置の内容や申出先を個別に伝え、意向を確認する。時期は、子が1歳11か月に達する日の翌々日から2歳11か月に達する日の翌日までとされている。

うちの就業規則には、短時間勤務の規定が1行あるだけだった。選択肢が2つに満たない時点で、すでに宿題を1年放置していたことになる。

5つの選択肢を、自院の仕事に当てはめてみる

制度を知ったからといって、そのまま書き写せばよいわけではない。クリニックには、クリニックの事情がある。私は、5つの措置を診療所の現場に置き換えて考えた。

テレワークは、窓口業務には向かない。保育施設の設置は、職員9名の院には現実味がない。残るのは、始業時刻の変更、養育両立支援休暇、短時間勤務の3つになる。

ここで、診療時間という制約が立ちはだかる。午前の外来は9時に始まる。始業を遅らせれば、受付の立ち上がりが手薄になる。休暇を年10日以上つければ、その日の窓口は誰かが埋める。短時間勤務なら、閉院後の締め作業に入れない。

(どれを選んでも、穴が開く場所が違うだけだ。穴を塞ぐ段取りを先に作らないと、制度だけ整えても現場が回らない)

そこで私は、宮本さんと面談する前に、院内の業務を書き出すことにした。誰が、何時に、何を担当しているか。それをリストにしてみて、愕然とした。

月初の10日間に、仕事が1人に偏っていた

リストを見ると、窓口は5人で分担できていた。ところが、レセプト請求業務は、点検から返戻の確認まで、ほぼ宮本さん1人の作業になっていた。しかも、集中するのは月末から月初の10日間。まさに、17時で帰りたい彼女が、最も抜けにくい時期である。

私はこれまで、月初のレセプト請求業務が止まりそうになるたびに、宮本さんの残業で乗り切ってきた。残業代は払っている。だから問題ないと思っていた。(本当にそうか。払っていれば済む話ではなかったな)

属人化しているのは、技術だけではなかった。時間の使い方まで、彼女に寄りかかっていたのだ。

この偏りを、育児中の職員の問題として扱うと、話がこじれる。偏りは、職員の事情が出る前から院内に存在した。育児の事情が、それを表に出しただけである。私はそう整理した。

面談で聞いたのは、希望ではなく「困る時間帯」だった

面談の席で、私は「何時まで働けるか」ではなく「いつが最も困るか」を尋ねた。希望を聞くと、条件の綱引きになる。困る時間帯を聞けば、共に埋め方を考えられる。

宮本さんの答えは具体的だった。保育園のお迎えは18時までで、延長保育は月に数回しか使えない。また、朝は8時半に着けば問題ない。月初の数日だけは、夫が早く帰れる日がある。

(なるほど。毎日同じ時間で区切る必要はないんだ。月初の山場の曜日に合わせて、短時間と通常勤務を組み替える手もある)

私は、次の3つの案を作り、院内の職員全員に意見を聴く機会を設けた。

1つ目は、始業を30分繰り上げて終業を30分早める、時差勤務の選択肢。2つ目は、月初の山場を避けて取れる、年10日の養育両立支援休暇。3つ目は、従来の短時間勤務。この3本立てなら、本人の事情に合わせて選べる。同時に、院の側も穴の位置を予測できる。

面談の最後に、私は宮本さんに1つだけお願いをした。制度を使う期間が決まっていても、状況は変わる。半年後に、もう1度、同じ形式で話し合う時間を取りたい、と。本人は「ありがたいです」と笑った。決めて終わりにせず、見直す日をあらかじめ置いておく。これが、長く働いてもらうための最低限の礼儀だと考えている。

穴を塞ぐために、請求業務の持ち方を変えた

制度が決まっても、月初の山場は残る。そこで、宮本さんの仕事を3つに切り分けた。点検の1次確認、返戻の対応、請求データの最終送信である。このうち、1次確認は、入職3年目の職員に教えて分担することにした。

教える側と教わる側の両方に、負担はかかる。だから、月に1回、30分だけ「請求の勉強会」の時間を勤務時間内に設けた。スタッフ教育を、残業や善意に頼らない仕組みに変える第1歩である。

もう1つ、外部の力も検討した。レセプト外注である。ただし、全部を任せるつもりはなかった。レセプト代行やレセプト請求代行のサービスの中身を調べると、点検の補助だけ、返戻の再請求だけ、といった部分的な使い方もできることが分かった。レセプト代行・レセプト請求代行サービスの内容を読んで、自院の山場の10日間だけを補う使い方なら、職員の仕事を奪わずに済むと考えた。

(外注は、人を減らすための手段ではない。人が抜けても請求を止めないための保険として考えればいい)

結局、今期はまず院内の分担で回し、外部の活用は、分担がうまくいかなかった月の備えとして検討に留めた。ここで決め切らないのも、経営判断の1つだと思っている。

支える側の職員の納得を、先に設計する

制度づくりで最も気を遣ったのは、宮本さんではなく、周りの職員だった。育児中の職員が早く帰れば、そのしわ寄せは、誰かの業務に回る。ここを放置すると、善意の制度が、院内の不公平感に変わってしまう。

そこで、制度の説明会で、私は3つのことを約束した。1つ目は、穴を埋めた職員の負担を、見えるようにすること。2つ目は、その働きを人事評価に反映すること。3つ目は、誰もが人生のどこかで、休む側にも支える側にもなると伝えることである。

(育児だけが特別扱いされるのではない。介護も、自分の病気も、いつか誰かに来る。その順番が違うだけだ)

実際に、入職3年目の職員は、1次確認を担当するようになってから、請求の仕組みを自分の言葉で説明できるようになった。窓口で患者から問い合わせを受けたときの対応も、見違えるほど落ち着いている。支える側に回った経験が、本人の成長の機会になったのである。

さらに、国の支援も確認した。厚生労働省の案内には、柔軟な働き方の措置を整えた事業主向けに、両立支援等助成金の「柔軟な働き方選択制度等支援コース」がある。支給の要件や金額は年度や状況で変わるため、社会保険労務士に確認してから申請を考えるつもりだ。

規程に書いた日から、院の評価が変わった

数週間後、就業規則の改定案ができた。3つの措置を並べ、申出先を私と事務長にした。子が2歳になる前の職員には、面談で案内する流れも書き込んだ。

面白いことが起きた。規程を掲示した翌週、パートの職員が「実は来年、下の子が3歳になります」と、自分から相談に来たのだ。これまで言い出せなかったのだろう。

(制度を作ったことで、職員が話しやすくなった。院長に言っても無駄だ、という空気が、うちにもあったのかもしれない)

ルールを明文化する効果は、育児中の職員だけに及ばない。採用面接で、働き方の選択肢を説明できる。いつか診療所承継を考える日が来たとき、買い手や後継者にとっても、職員の就労条件が整理されているクリニックは安心材料になる。

人材の確保が、そのまま医院の価値を左右する時代である。クリニック経営の視点で見れば、規程の整備は、コストではなく投資に近い。

院長が明日からやること

宮本さんは、今も受付で元気に働いている。時差勤務を選び、月初の山場は、後輩の職員と分担して乗り切った。先月の請求は、残業ゼロで締まった。

この経験から、同じ立場の院長に伝えたいことがある。まず、自院の就業規則に、育児中の職員向けの措置がいくつ書かれているか、確認してほしい。次に、レセプト請求業務のような繁忙期のある仕事が、誰か1人に偏っていないかを書き出してほしい。最後に、3歳を迎える子を育てている職員がいないか、名簿を見てほしい。

制度に気づくのが遅れた私が言うのも何だが、職員の事情は、院の仕組みを見直す合図である。相談を受けた日が、院長の出番の日になる。

(さて、次は誰の席の「あの人がいないと回らない」を解消しようか)

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