Clinic Diary
クリニック奮闘記
Clinic Diary
クリニック奮闘記
私は皮フ科クリニックを開業して12年目になる院長だ。職員は医療事務3名、看護師2名、受付のパート1名の計6名。アトピー性皮膚炎や湿疹、ニキビの患者さんに加え、粉瘤などの小さな日帰り手術も行っている。
月初の朝、私は先月分の院内記録を開く。ヒヤリハット報告書の件数欄には、今月も「0」と書かれていた。この1年、ほぼ毎月、同じ数字が並んでいる。
(何も起きていないから0なのか。それとも、起きたことが私の耳に届いていないだけなのか)
そう疑うようになったのは、先週の出来事がきっかけである。クリニック経営は数字で見るものだと思ってきたが、この「0」だけは、安心の印なのか警報なのか、私には読み取れなかった。
先週の木曜日、午後の外来は混み合っていた。処置室で軟膏を渡す直前、看護師のYさんが、袋に印字された名前と目の前の患者さんの名前が違うことに気づき、手を止めた。患者さんは何も知らないまま帰り、実害はない。
私がこの件を知ったのは、3日後の月曜日だった。事務スタッフ同士の立ち話が、たまたま耳に入ったのである。
(なぜ、その日のうちに言ってくれなかったのか。取り違えていたら、薬疹や症状の悪化につながりかねなかったのに)
夕方、Yさんに静かに尋ねてみた。返ってきたのは、思いがけない答えだった。「何も起きなかったので、報告するほどではないと思いました。それに、報告書を書くと、袋を準備した人が叱られる気がして」。
彼女を責める気にはなれなかった。報告が上がらなかったのは、彼女の怠慢ではない。私が12年かけてつくってきた職場の空気の結果だと、そのとき気づいたからだ。
思い返せば、開業したばかりの頃の私は、ミスをした職員を人前で注意することもあった。患者さんを守るためだと信じていたが、職員の目には「間違いを見せたら叱られる」という教訓として残っていたのだろう。12年分の積み重ねが、あの「0」をつくっていたのである。
(叱ったことが間違いだったとは思わない。ただ、叱ったあとに何を学べる場を用意したのか、と問われたら、私は答えに詰まる)
同じ週に、もう1つ気になる話を聞いた。月末のレセプト点検を担当する医療事務のMさんが、処置料の算定漏れらしき記載に気づいていたというのだ。ところが彼女は、前任者のやり方を指摘するようで言い出せず、1人で何度も確認していたらしい。
(診療の現場でも事務の現場でも、「気づいた人」が黙ってしまう。これは個人の問題ではなく、うちの仕組みの問題だ)
以前、本欄で書いたあの人がいないと回らない、をなくす ― 属人化を解消する業務設計と欠員時の運転モードを読み返すと、気づきが特定の人の中に留まる状態こそ、属人化の入り口だとわかる。報告されない気づきは、院内で共有されないまま、その人の記憶とともに消えてしまう。
算定漏れは収益に響き、取り違えは患者さんの安全に響く。種類は違っても、小さな気づきを拾えるかどうかが、診療所の足腰を決める点では同じだった。
念のため、過去半年のレセプトを遡って、同様の算定漏れがなかったか確認した。幸い大きな漏れはなかったが、確認に要した時間は延べ4時間近くに及ぶ。気づいた時点で共有されていれば、この4時間は要らなかったはずだ。小さな沈黙には、あとから利子のついた時間が請求される。
この件で私が痛感したのは、ミスの多さではなく、ミスを知るまでの遅さが医院の損失になるという点だった。早く知れば安く直せる。遅く知れば高くつく。経営の言葉に置き換えると、報告は最も安い保険料なのだと思う。
私はまず、報告書の書式を見直した。以前の様式は、発生日時、場所、関係者、原因分析、再発防止策と、A4で1枚の欄がびっしり並んでいる。これでは、忙しい外来の合間に書く気にならないのも当然だ。
そこで、次の3点だけを決めて職員に伝えた。
原因分析や再発防止策は、報告を受けた私が月1回の15分ミーティングで職員とともに考える。書く側の負担を減らし、考える側に責任を寄せたわけである。
書式を変えても、最初の数件の受け止め方を誤れば、箱は空に戻る。私は自分に言い聞かせた。
(報告を受けたら、まず「ありがとう」だ。原因を問いただすのも、改善策を押しつけるのも、そのあとでいい)
数日後、Mさんが付箋を1枚、箱に入れた。「処置料の算定ルールが、前任者のメモと今の解釈でずれているかもしれません」。私は礼を述べたうえで、その日の昼休みに2人でルールを確認した。結果は、院内メモが古くなっていただけだった。
最初の2週間、箱に入った付箋は1枚だけだった。私は焦らず、朝礼で「今週は付箋が1枚入った。おかげで助かった」とだけ伝えた。内容には触れず、誰が書いたかも詮索しなかった。見られているという感覚が薄れるまで、待つ必要があると考えたからだ。
メモは直した。ここで誰かの失敗を探していたら、次の付箋は2度と入らなかっただろう。
知人の内科の院長にこの話をすると、彼は月末の負担を減らすためにレセプト外注へ切り替え、空いた時間で似た振り返りの場を設けたと教えてくれた。レセプト代行・レセプト請求代行サービスの内容は会社ごとに差があるため、任せる範囲と院内に残す最終確認を、契約前に線引きしたそうだ。
外注するか内製を続けるかは、各院の事情で決めればよい。ただ、どちらを選んでも「気づいた人が声を上げられる院内の空気」は外に出せない。それは私たち自身が育てるしかないものだ。
次に手を付けたのは、新しく入る職員への医療事務スタッフ教育である。これまでは、保険証の確認手順や窓口での説明の仕方を教えるのが中心で、「間違いに気づいたときの動き方」は教えていなかった。
そこで、入職初日の説明に、次の1文を加えた。「うちでは、間違いを見つけた人がいちばんえらい。見つけたら、その日のうちに箱へ」。笑い話のようだが、新人にとっては、先輩の間違いを指摘してよいという許可になる。
さらに、集まった付箋のうち個人名の出ない事例を、月1回のミーティングで教材として読み上げる。取り違え未遂の事例は、薬の受け渡し手順の見直しにつながった。袋の名前と、患者さんご本人に名乗っていただく確認を、必ず組み合わせるようにしたのである。
以前書いた新人の医療事務が3か月で辞める ― 教育を「先輩の頭の中」から「院内の仕組み」へ移すの内容とも重なるが、教育とは知識を渡すだけではなく、声を出してよい場所を渡すことなのだと実感している。
もう1つ、このミーティングで気づいたことがある。付箋をノートに貼って残していくと、それがそのまま、院内の改善履歴になるのだ。いつ、何が起き、どう直したか。半年分でも、読み返すと医院の歩みが見えてくる。
私もいずれは、診療所承継(M&A)を含めて、院長交代の時期を考える年齢になる。そのとき、買い手や後継の医師が気にするのは、設備や患者数だけではないはずだ。安全の仕組みが回っているか、職員が声を上げられる職場か。記録は、数字に表れにくいその部分を語ってくれる。
(私がいなくなっても動く医院にするには、私の頭の中にあるルールを、紙と習慣に移すしかない)
この視点は、以前の記事院長がいなくても診療所は動くか ― 院長依存度の可視化と事業承継の障害でも整理した。報告文化は、院長依存度を下げる最も身近な取り組みの1つだと考えている。
運用を始めて1か月後の月初、私は再び記録を開いた。ヒヤリハットの件数は「7」だった。内訳は、薬の受け渡しが2件、窓口での説明漏れが2件、算定ルールの確認が2件、器具の準備が1件である。
ミーティングで印象的だったのは、受付のパートさんの発言である。「待ち時間の長さに怒った患者さんへの対応も、報告していいんですか」。もちろんよい、と私は答えた。苦情の芽も、窓口の混雑も、診療所の弱点を教えてくれる大切な情報だからだ。報告の範囲を広げたことで、箱の中身は医療安全だけでなく、患者さんの声の置き場にもなっていった。
以前の私なら、件数が増えたと聞けば、現場が緩んだのではないかと心配しただろう。今は逆に、安心している。
(0だった頃も、7件は起きていたのだ。見えるようになっただけ。見えれば直せる)
もし月初の記録が今も「0」のままだったら、私は何も知らないまま、安心だけを抱えて年を越していただろう。見えない問題は、見えないまま育つ。そう考えると、あの先週の木曜日の未遂は、院長として最初に受け取った大切な贈り物だったのかもしれない。
クリニック経営は、収益や人件費といった数字だけで測れるものではない。職員が気づいたことを口にできる職場かどうかも、立派な経営指標である。まずは来月の月初、報告箱の中身を数えるところから始めてみてほしい。数字が0なら、それは安全の証明ではなく、問いかけの合図になる。
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