Clinic Diary
クリニック奮闘記
Clinic Diary
クリニック奮闘記
開業して8年目になる、整形外科クリニックの院長である。リハビリ室には電気治療器と牽引ベッドが並び、午前も午後も、膝や腰の痛みを抱えた高齢の患者さんで埋まっている。ありがたいことに、患者数は開業以来ほとんど落ちたことがない。
そんな私が、昨年の12月に冷や汗をかいた。通帳には余裕があるはずだった。ところが冬の賞与、社会保険料、そして予定納税が同じ月に重なり、引き落としの前日になって、事業用口座の残高が足りないことに気づいたのである。
「売上は悪くないのに、なぜお金が足りないんだ」。税理士さんから毎月届く試算表を、私は封筒から出したこともなかった。結局、院長個人の口座から資金を移して乗り切ったが、胸には重いものが残った。(経営者を名乗りながら、自分の医院のお金の流れを何も知らなかったのか)。
翌週、税理士さんに相談すると、最初に言われたのは「先生、売上と現金は別物ですよ」という言葉だった。窓口で受け取る自己負担分は、その日のうちに手元に入る。しかし保険者に請求する分は、診療した月の翌月に請求し、口座に入るのは診療した月の翌々月になる。10月に診た患者さんの保険分は、12月にならないと届かない。
これに対して、職員の給与、家賃、リース料は、その月のうちに出ていく。患者数が増えている時期ほど、診療した分と入金される分との時間差は大きくなり、手元の現金は薄くなる。(患者さんが増えたのに資金が苦しい、というのはこういう仕組みだったのか)。
整形外科は、リハビリの算定が積み上がるぶん、売上に占める保険請求の割合が高い。窓口の現金で回りやすい診療科と比べて、入金の遅れの影響を受けやすい構造である。自院の資金が薄くなる理由を、私は初めて数字の仕組みとして理解した。
翌日、医療事務の責任者のKさんに声をかけた。勤続12年のベテランである。「毎月の請求額と実際の入金額を、先生は見たことがありますか」。逆にそう尋ねられ、見たことがない、と正直に答えるしかなかった。
Kさんは、請求した月ごとの請求額と入金額を、手書きの表にまとめていた。「差が出たときに、返戻や査定が原因かどうかをすぐ確認するためです」と言う。私が見ていなかった数字を、現場はずっと追い続けていたのである。(この表を経営の数字として使っていなかったとは、もったいない話だ)。
さらに聞くと、Kさんはこの表を新人の教育にも使っていた。請求額と入金額が合わないとき、どの画面のどの項目を見るのか。それを実際の月でともにたどらせるという。医療事務スタッフ教育の教材が、すでに院内にあったことになる。
Kさんは、こうも話してくれた。「入金が遅れる月は、私たちも落ち着かないんです。給与日が近いと、先生の顔色を見てしまいます」。職員は、院長が思う以上に、医院のお金の状態を肌で感じている。資金の不安は、診療の雰囲気にも、職員の定着にも静かに影響する。
資金繰り表を院長だけのものにせず、見える範囲を職員とも共有すると決めた。個々の給与は伏せたうえで、「今月は入金が少ない月、来月は戻る月」と朝礼で伝える。それだけで、Kさんの肩の力が抜けたように見えた。
税理士さんとKさんの助けを借りて、エクセル1枚の資金繰り表を作ることにした。複雑な表は続かない。入れる項目は、次の3つだけに絞った。
これを12か月先まで横に並べ、月末ごとの増減を計算する。次の表は、そのイメージを説明用の仮の数字で示したものである。
| 項目 | 10月 | 11月 | 12月 |
|---|---|---|---|
| 入金(保険分:2か月前の診療分) | 9,800,000 | 10,200,000 | 10,500,000 |
| 入金(窓口分) | 2,600,000 | 2,700,000 | 2,800,000 |
| 出金(毎月分) | 10,400,000 | 10,400,000 | 10,400,000 |
| 出金(賞与・納税など) | 0 | 0 | 5,200,000 |
| 月末の増減 | +2,000,000 | +2,500,000 | -2,300,000 |
10月と11月は黒字で、通帳の残高は増えていく。だから安心してしまう。ところが12月だけは、2,300,000円の減少になる。表にしてみればすぐにわかることを、私は通帳の残高だけでは見抜けなかった。
赤字になる月が見えたら、その2〜3か月前に手を打つ。金融機関への相談、機器購入の時期の調整、賞与の額の見直しが、すべて事前にできる。作ってみて驚いたことに、今年の6月にも残高が細くなる月が見つかった。(足りなくなる月が分かっているだけで、こんなに気持ちが違うのか)。
もう1つ、税理士さんから教わったのは手元資金の考え方である。毎月の出金の2〜3か月分は、すぐに使える現金として置いておく。先ほどの表の例なら、毎月の出金は10,400,000円だから、目安は20,800,000円から31,200,000円になる。院内の運転資金の目安として、この数字を表の下に書き込んだ。
残高がこの目安を割り込みそうな月は、赤で塗る。塗った月の3か月前に、金融機関へ相談する。足りなくなってから頭を下げに行くのと、余裕のあるうちに条件を聞きに行くのとでは、話の通りやすさがまるで違うと聞いた。
個人開設のクリニックでは、院長の生活費と事業の資金が、気づかぬうちに混ざっていく。私も、住宅ローンの返済日が近づくと、事業用口座から生活用口座へ、その都度適当な額を移していた。いくら移したのか、記録も曖昧だった。
税理士さんの提案は明快だった。院長の生活費を毎月同じ額にして、同じ日に事業用口座から移す。自分への給与のような形にして、残りは医院に置いておく。(私の生活費も、経営の数字に含めるべきものなのだ)。
納税のための積立も、別の口座に毎月分けることにした。税金は年に数回まとめて出ていくので、毎月の利益のうち決めた割合を取り分けておく。この口座があれば、予定納税の月に慌てずに済む。院長の財布と医院の財布を分けることは、院長を守ることでもあった。
資金繰り表を作って、改めて気づいたことがある。入金が診療の2か月後と決まっている以上、請求が遅れたり、返戻で戻ってきたりすれば、そのぶん入金は後ろへずれる。請求が1か月遅れれば、その月の保険分がまるごと1か月先へ動く。返戻と資金繰りの関係は、以前に読んだ記事『返戻は未収金である ― 再提出までの資金繰りと返戻レセプトの管理』でも詳しく書かれていた。
Kさんの表には、月初の請求作業が何日に終わったかも記録されていた。請求業務が毎月のように押していた時期は、入金も遅れている。レセプト請求の締め切りを守ることは、事務作業の問題ではなく、資金の問題だったのである。
人手が足りない月は、レセプト代行やレセプト請求代行、あるいはレセプト外注という選択肢もある。ただ、その判断は費用の安さだけで下したくない。請求が毎月期限どおりに終わるかどうかで考えたい。外注費は、資金繰り表の「出金の確定分」に入る項目になる。内製に隠れている残業代や欠員時の遅れを同じ表に並べて、比べてみてほしい。比べ方は『外注費は高いのか ― 内製の見えないコストと比較する費用対効果の測り方』が参考になる。
同年代の院長仲間から、診療所承継(M&A)の話を聞く機会が増えてきた。承継を考える側は、売上の大きさだけでなく、月次の数字が安定して整理されているかを見るという。資金繰り表と試算表がそろっている医院は、説明が早く、評価も落ちにくい。
医院の値段が何で決まるのかは、『クリニックの値段は何で決まるか ― 承継・M&Aにおける評価の考え方と、評価を下げる要因の点検』という記事で読んだことがある。当時は他人事だったが、今は違う。(今すぐ譲る気はない。しかし10年後の自分のために、数字を整えておくのは悪くない)。
クリニック経営の本質は、診療の質を長く保つことにある。そのためには、診療を支えるお金が、いつ入り、いつ出るのかを院長自身が知っていなければならない。
今は、毎月10日の診療後に30分を確保している。開くのは試算表と資金繰り表で、見るのは3行だけ。売上、人件費、月末の現金残高である。Kさんの表と並べて、請求額と入金額のズレも確かめる。
先月、Kさんがぽつりと言った。「先生が見てくださるなら、私も数字を整理しがいがあります」。(数字は、見る人がいて初めて経営の道具になる)。
税理士さんとは、3か月ごとに資金繰り表の見込みと実績を突き合わせる約束もした。見込みより入金が遅れた月があれば、その原因をKさんとともにたどる。請求の締め切り、返戻の有無、窓口収入の変動を順に確かめれば、どこに手を打つべきかが見えてくる。
診療だけが院長の仕事ではない。医院のお金がいつ、どこへ動くのかを知ることも、院長の仕事である。通帳の残高で安心していた昨年の自分に、いまなら伝えられる。「まず、表を作れ」と。
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